懐かしの道をゆったり散策。「聖路加」の街を支える数々のシンボル
久しぶりに聖路加あたりを散歩しました。地下鉄東西線に乗り、茅場町の駅で日比谷線に乗り換え、築地駅で降りて後部階段を地上に出ると、海側にニョキっと2本の高層ビルが見えます。再開発によってできた「聖路加ガーデンタワー」です。
会社勤めのころ、私の勤務先は新川2丁目にあったので銀座に向かうときは、川沿いの辺りを通ったり、聖路加病院の緑を眺めたりしながら築地本願寺を抜けていったこともありました。
当時とすっかり風景の変わったあたりは、秋を感じさせる午後の陽射しを受け、懐かしい聖路加病院周辺の散歩道を照らしていました。
長く聖路加国際病院の名誉院長を務められた日野原重明氏は、私のもっとも尊敬する人のひとりでした。2017年7月に105才で永眠されましたが、数多く書かれた本のなかには、この病院の創設者米国聖公会の宣教師ルドルフ・トイスラー博士の名前が頻繁に出てきます。記念館の前にはそのレリーフがあるとのことでしたが、私はじっくりとそれを見たことがなかったので、今回はそこに立って見たいとの思いでした。
日本の夜明けの時代、東京は開港場ではありませんでした。開市場に指定され、1869年に築地鉄砲洲明石町一帯の約10ヘクタールに外国人居留地が設けられたのです。
しかし、横浜居留地の外国商社は横浜を動かず、主にキリスト教宣教師の教会堂やミッションスクールが入る結果になり、このため青山学院や女子学院、立教学院、明治学院、女子聖学院、雙葉学園などの発祥地となっているのです。
現在この地区のシンボルになっている聖路加国際病院も、キリスト教伝道の過程で設けられた病院が前身です。また、外国公館も多く、1875年にアメリカ合衆国公使館が設置され、1890年に現在の赤坂に移転するまではここにありました。築地に置かれた公使館やキリスト教会の母国は9カ国に達し、最盛期には約300人以上の外国人が暮らしたといわれています。
しかし、その後築地居留地は、1899年の治外法権撤廃で法的に廃止され、立ち並んでいた洋館も、1923年の関東大震災ですべて失われてしまいました。アメリカ合衆国公使館の名残は、当時掲げられた星条旗マークの5つのレリーフが、トイスラー祈念館の前と水辺を望む大屋根公園に残されています。
聖路加国際病院は創設以来100年を超える歴史をもとに、キリスト教精神を重んじた患者さん中心の診療と看護を実践しているといわれます。トイスラー博士の薫陶を身にした日野原先生は真摯にそれを受け継がれ、その精神は現在も受け継がれているのです。聖路加国際病院事業主体は、日本聖公会系列の学校法人聖路加国際大学です。
また「せいろかこくさいびょういん」は正式な読みではなく、「聖路加」の正式な読みは「せいるか」であるとのこと。一方、「せいろか」の読みも定着しており、職員も以前はそのように発音していることがありましたが、近年では積極的に正式名を用いており、テレビ報道でも正式名称で紹介されることが多くなっているようです。新病棟が完成し、施設は近代化されて整いましたが、1901年に設立され、戦前の旧病棟の建設にあたっては、多額の資金を下賜されるなど、皇室との関係もありました。「医療社会事業科」が設置され、医療ソーシャルワーカーが常駐しております。
聖路加国際大学の敷地内にあるトイスラー記念館は、聖路加の宣教師館として建てられたトイスラー記念館が移築されたものです。新しく復元されていましたが、前庭に小川が流れ、クリーム色と緑の家は大きくはありませんが、とてもよいセンスを感じます。
周りには緑がたくさんあり、都心の大学構内ですが環境がいいところです。聖路加病院旧館・聖ルカ礼拝堂の隣には、建物の前にも流れるせせらぎがありますが、これはトイスラー記念館の建物の下にある貯水槽から流れ出ているもので、災害発生時に断水した場合、透析など医療用の原水として利用する目的で作られたそうです。
日常的に循環させていないと、水質劣化が起き、医療用原水として利用できなくなるので毎日循環させているのだとか。
さらに、新旧の建物を結ぶブリッジを渡ってオフィスタワーに行ってみました。
「聖路加ガーデン」は、アメニティ・オフィス空間と呼ばれる「聖路加タワー」として、シニアライフのための都市型レジデンス「聖路加レジデンス」を中枢にホテルやレストラン、スポーツクラブなど、多彩な機能をもつ、医・職・住・学・悠を融合させた都市空間を銘打っているとのことです。
ビジネスタワーの2階に設けらえた広々としたロビーは、周囲にいくつかの喫茶店やコンビニエンスストアを配し、勤務する人も寛ぎやすく過ごしている感がありました。ロビーから直接続く外のテラス、大屋根公園からは、目前に隅田川と外海を眺められます。わたしは1杯のコーヒーを飲みながら、その方向から吹いてくる夏の終わりの風に身を委ねて少しのときを過ごしました。
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