日本人が知らないプリングルズの秘密とは?お菓子に隠されたトリビア

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2023/05/04

日本だけでなく、世界で愛されるお菓子はたくさんありますよね。例えば、日本でもロングセラーの「ポッキー」は海外からの観光客にも大人気のお土産で、国内外で見かける有名なお菓子のひとつ。

ただ、そんな身近なお菓子にも、一般的なイメージの裏側にいろいろなトリビアがいっぱいあります。そこで今回は、有名お菓子にまつわるトリビアをご紹介していきましょう。

「プリングルズ」は片面しか味付けしていない

image by:Koy_Hipster/Shutterstock.com

筒状に入った「プリングルズ」のポテトチップスは、日本の「チップスター」同様、成形ポテトチップスです。

逆にいえば、形が一緒だからこそ、キレイに重ねて筒状の容器に入れられるわけですが、この成形ポテトチップスだからこそのトリビアがプリングルズにはあります。

プリングルスの公式ホームページによると、全てのポテトチップスを同じ形に仕上げた上で、ウォーターフォール(滝)工程と呼ばれる方法で、筒状の容器に入れる直前に味付けしているそう。

そしてプリングルズは両面に味付けされるのではなく、片面(凸面)のみ各風味の素が振りかけられます。

そのうえで容器に入れるので、味の付いた凸面に接触した隣のチップスの凹面に味が移って、両面共に味が感じられる状態になるのですね。

ちなみに、プリングル「ス」ではなくプリングル「ズ」が正しい表記。有声音に続く複数形の「s」は「z」と発音するからですね。

「オレオ」はもともと量り売りだった

image by:Mehaniq/Shutterstock.com

次は「オレオ」です。大のジャズファンの場合、オレオと聞くと、ソニーロリンズ作曲の1954(昭和29)年の作品『Oleo』を想像するかもしれません。


しかし、そうでない人の場合、ほとんどがクッキーのオレオを想像するのではないでしょうか。

『大辞泉』(小学館)など辞書にも掲載されるほどの商品で、

<1912年、アメリカの食品メーカー、ナビスコ(現・モンデリーズ・インターナショナルの子会社)が発売>(『大辞泉』より引用)

と書かれています。

日本では、ヤマザキナビスコが製造・販売していたものの、ライセンス契約が2016(平成28)年に終了。その後、モンデリーズジャパンの製造・販売に切り替わったみたいですね。

さらに、歴史を詳しく振り返ると、ニューヨーク市の9番街と10番街の間で、当時存在したナビスコベーカリーで製造されました。

次いで、南極が発見された、あるいはタイタニック号が沈没した1912(明治45/大正元)年3月6日にニュージャージー州のホーボーケンで販売されます。

その当時、オレオは量り売りされていたとか。1ポンド(約453グラム)当たり0.3ドル(執筆時のレートで39.28円)。1ポンドのオレオは40個くらいになるみたいです。

ちょっとだけ名前も変わっていて発売当初は「Oreo Biscuit(オレオビスケット)」だったのだとか。

日本での発売は1987(昭和62)年。現在では、100カ国以上で売られていて、21世紀で最も売れているビスケットブランドにまで成長したのですね。

「M&M’s」はスペインの兵士がヒントに?

image by:NeydtStock/Shutterstock.com

次は「M&M’s(エムアンドエムズ)」について。手に持っても溶けない、カラフルな粒状のチョコレートは誰でも知っているはずです。小学館『大辞泉』にも掲載されていて、

<さまざまな色の糖衣でコーティングしたチョコレート>(『大辞泉』より引用)

とあります。

まさに、この糖衣(candy coated)がM&M’sの最大の特徴ですが、この発想はどこからきたのでしょう?

その答えはM&M’sをリリースするマースジャパンリミテッドの公式ホームページに記載されています。

1936(昭和11)年から1939(昭和14)年にかけて発生したスペイン内戦を訪れた、のちの創業者フォレスト・マース氏が、兵士たちが戦線で砂糖でコーティングしたチョコレートを口にしていた姿を見て、帰国後に友人とチョコレート生産販売工場を設立したそう。

その友人の名前はブルース・ムリー氏です。マース氏とムリー氏の頭文字を取って、M&M’sになったのですね。

その後は、急成長を遂げ続け、1982(昭和57)年には、スペースシャトルの宇宙食に選ばれ宇宙へと旅立ちます。

戦場で着想を得て、そのアイデアを実現し、世界に広める。文字に書けば簡単ですが、すさまじい偉業ですね。


ハリボー「ゴールドベア」には出生証明書がある

image by:Lutsenko_Oleksandr/Shutterstock.com

1920(大正9)年にドイツで誕生した「ハリボー」。2年後に「ダンシングベア」というフルーツグミを誕生させ、そのフルーツグミが1960(昭和35)年に「ゴールドベア」としてあらためて市場に投入されました。

瞬く間に大ヒットを遂げたため、ゴールドベアの出生証明書をハリボーは発行し、その誕生を正式に歴史に刻んだのですね。その話で行くと、2023年でゴールドベアは63歳という計算になります。

参考までに、クマの寿命は野性で15~20年ほど。飼育下では30歳を超えるケースもあるといいますが、ゴールドベアの「年齢」はその倍近くに達していますから、大変な愛され方をしているのですね。

ちなみに、ハリボーのゴールドベアは1年間の生産量を一列に並べると地球10周分に達するみたいです。

「チュッパチャップス」は芸術家ダリがデザイン

image by:Lutsenko_Oleksandr/Shutterstock.com

最後は「チュッパチャップス」の意外なエピソードを紹介します。

小学館『大辞泉』によると、1977(昭和52)年に日本で発売が開始されました。もともとは「GOL」という名前で、1958(昭和33)年にスペインで誕生したお菓子になります。

その後、チュッパチャップスに名称を変え、1969(昭和44)年には、その新名称をもとに同郷の芸術家のサルバドール・ダリ氏にロゴのデザイン制作を依頼します。

チュッパチャップスの考案者であり創業者のエンリケベルナト氏がレストランでダリと一緒に食事しているときに、紙ナプキンに描いたスケッチが、現在のロゴの原型になっているのだとか。

「サルバドール・ダリ」image by:カール・ヴァン・ヴェヒテン, Public domain, via Wikimedia Commons

ちなみに、サルバドール・ダリとはスペインの画家・版画家で、映画の共同制作を手掛けるなど、多方面で才能を発揮した偉大な芸術家ですね。

もちろんほかにも有名なお菓子のトリビアはいっぱい。自分の好きなお菓子にどんな意外な歴史や由来があるのか調べてみると楽しいかもしれませんよ。

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翻訳家・ライター・編集者。成城大学文芸学部芸術学科卒。富山在住。主な訳書『クールジャパン一般常識』、新著(共著)『いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日』。北陸のWebメディア『HOKUROKU』創刊編集長。WebsiteTwitter 

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