長崎にもあるランタンフェスティバル。今も残る中国文化を辿ってみた
唐人さんが住んだ唐人屋敷跡地と中国伝来の唐寺
鎖国時代、長崎との貿易で中国から訪れていた中国人は「唐人」と呼ばれ、1689年より「唐人屋敷」に住むようになりました。「唐人屋敷」とは中国人版の「出島」のこと。長崎の各地に住んでいた唐人を「唐人屋敷」に集めて生活させたのです。
長崎新地中華街を抜けた場所には、今でも「唐人屋敷跡」と書かれた門があり、門をくぐり抜け少し歩くと、「福建会館」、「土神堂」、「観音堂」などの当時の建物が保存されています。
ちなみに「精霊流し」は元々中国文化という話もあり、当時長崎に住んでいた中国人の風習が長崎に残り、今現在も故人を送る風習として続いていると言われています。
長崎には「唐寺(から寺)」や「とう寺」と呼ばれる中国様式のお寺も多くあり、中国大陸から和尚や大工が海を渡りお寺の建立に携わったと言われています。
隠元和尚に縁のある「興福寺」は中国寺ではお馴染みの朱色が用いられ、隠元和尚の孫弟子が建立した「聖福寺」は朱色が余り用いられていませんが、調度品に描かれている桃やコウモリ等の絵などは唐寺の様式を見て取ることができます。
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