長崎に縁の深い外国人、グラバーとシーボルトのすごいとこ10選
1 クレイジーな好奇心と収集癖!のシーボルト
シーボルトはグラバーが長崎を訪れた時代より少しさかのぼり、鎖国時代の出島にオランダ商館の医師として降り立ちます。シーボルトは日本滞在7年間でしたが、彼のスゴイ所は日本についてあらゆる資料を集め帰国したこと。この行動が元でシーボルトは幕府にスパイ容疑をかけられてしまいます。それもそのハズ、彼の好奇心から収集して研究した分野は多岐に渡っている、いや多岐に渡りすぎているのです。
シーボルト記念館に紹介されていた研究分野だけでも習慣・風俗・薬草・美術・言語など20近い分野に及び、収集して持ち帰った日本の品も工具・調度品・生活用品・絵画なども同じく20以上の分野に及んだようです。
短い滞在期間によくもそこまで研究し収集することができたな、という感じですが自身が開いた「鳴滝塾」で、日本人の塾生に対して西洋医学や自然科学などの指導を行う傍ら、塾生に日本の情報収集の協力を仰ぎ、また海外から持ち込んだ調度品を提供する見返りとして日本の品を収集していく収集マニアのシーボルト。
このクレイジーな程の収集癖でお分かりと思いますが、何にでも興味を示しチャレンジをして自ら体験する人物だったようです。記念館内で販売されている「シーボルトの雑記帳」によると、シーボルトはイカの刺し身や焼きイカを食べて「イカ刺し美味い!焼きイカはうーん苦手」などと記し、それ以外にも煎餅や甘酒などについても何処の物が美味しいと、感想を残していたようです。
2 日本の集大成。図解付きの著書「NIPPON」をまとめあげた!
シーボルトは国外持ち出し禁止品の日本地図や葵の御紋を海外に持ち出そうとした事がキッカケとなり国外追放となります。俗に言う「シーボルト事件」です。
日本を追放となったシーボルトは、その後に世界諸国に自分が知り得て愛した日本を知ってもらおうと著書「NIPPON」を書き上げます。鎖国時代を通じて謎のベールをまとっていた東洋の国、日本が世界諸国に紹介された瞬間でした。
黒船来航で日本を訪れたペルー総督は、シーボルトが書いた「NIPPON」や「日本植物誌」「日本動物誌」を読んで日本を学習し来航したと言われています。
「NIPPON」の中には、日本の宗教・文化・歴史などが図解付きでまとめられ、その一つに「諏訪明神のお祭り」として、「長崎くんち」の奉納踊である「太鼓山(コッコデショ)」と「鯨の潮吹き」が紹介されています。シーボルト、長崎人も唸りそうな玄人好みのチョイスです。