長崎に縁の深い外国人、グラバーとシーボルトのすごいとこ10選
日本の近代化の基礎を築いた長崎に縁の深い外国人と言えば!グラバーとシーボルトでは無いでしょうか?当時、彼らが日本に訪れ日本に残した遺産の数々が日本の近代化の礎になり、そして観光都市、長崎の名所として一役買っているのは事実です。長崎市民はこの二人に対して足を向けて眠れないのです。
日本という小さな異国を訪れ、日本そして長崎をクレイジーに愛し、日本の発展や研究に没頭した二人の外国人グラバーとシーボルトのスゴさをそれぞれ5つのポイントに分けてご紹介したいと思います。
ここがすごかーグラバーさん!
- グラバーさんは倉場さん!?2つの名前の謎
- キリンビールの創業の父グラバー。あのロゴもグラバー発案
- グラバーが日本初の蒸気機関車を長崎でGO!
- 近代設備の導入と幕末の偉人と取引していた超VIPなグラバー
- グラバー住宅は今でも長崎の定番のシンボル的な観光名所
あんたもすごかーシーボルトさん!
- クレイジーな好奇心と収集癖!のシーボルト
- 日本の集大成。図解付きの著書「NIPPON」をまとめあげた!
- 30年後の執念の再訪と街に残るシーボルトの痕跡
- アジサイとシーボルトの意外な関係!?
- ノーベル賞だけじゃない!今でも日本人を支え続けるシーボルト賞!
それでは、すごか二人の偉人をご紹介していきましょう!
1 グラバーさんは倉場さん!?2つの名前の謎
まずは取材の成功祈願にグラバーが眠る「坂本国際墓地」を訪問。「坂本国際墓地」とは「アメリカ」「ベトナム」「ユダヤ人」など長崎で長年生活をされた外国人墓地の一つ。その一角にグラバーの墓があるのですが、横には「倉場(くらば)」と書かれた墓石が並びます。くらば、くらば、・・・グラバー!そうなのです「倉場」とはグラバーの息子、倉場富三郎の墓。グラバーの音から日本語名は「倉場」と名乗り長崎を拠点に生活をしていました。
ちなみに息子の倉場富三郎は生物学のプロフェッショナル。日本にトロール漁業を紹介し水産資源の豊富な長崎でトロール漁を操業。長崎の漁獲高を押し上げ水産王国にした立役者。
また長崎は日本一採れる魚種が多いとされていますが、色とりどりの魚を眺めて生物学の血が騒いだのでしょう、長崎近海に生息する魚類の分類を製作するため画家を雇い、魚を買い集め標本画「グラバー図譜」を残した人物でもあります。
グラバー園内には「グラバー図譜」の一部が公開され、写生された絵と生物の実際の写真を比較して、その写生の忠実さを体験することができます。また紹介文にはお魚の図譜だけあり食べ方も併せて紹介。紹介文を書いた学芸員のセンスの良さがキラリ光ります。
グラバー親子は二代に渡って長崎の文化・業界の発展に情熱を注いだ人物なのです。
- 坂本国際墓地
- 長崎県長崎市坂本1丁目2
- 路面電車「茂里町」にて下車、徒歩8分
- 開放時間:8時から18時まで
2 キリンビールの創業の父グラバー。あのロゴもグラバー発案だった
手を合わせようと墓前に近づくとキリンビールのお供えがあったのですが、実はグラバーは「WoW!日本でもビールが流行る!」といち早く目をつけ、キリンビールの全身となる「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を創業。グラバーはキリンビール創業の父なのです。そのため長崎市内にはグラバーさんが今でもキリンビールの広告塔として長崎の街中にひょっこり顔を出しています。
長崎で結婚式を挙げると、昔はよっぽどのことが無い限り有無を言わさずキリンビールがテーブルに並ぶのが長崎という街の定番でした。
そのためグラバーの住居があったグラバー園内で営業している、テイクアウト店舗にはキリンビールが販売。キリンビールのロゴマークもグラバーが発案したと言われています。
ロゴマーク発案には諸説があり、グラバーが太宰府天満宮に飾ってある麒麟像が気に入り譲って欲しいと懇願したが叶わず。その後ロゴデザインに採用したという説。
グラバー園内にある狛犬の彫刻の説明書きに「彫刻(狛犬)はキリンビール社のラベルのモチーフで、麒麟の口ひげはグラバーの口ひげを元にした」という説。
イギリスのロンドン郊外で1845年からビールを醸造しているフーラー社の「グリフィン」のロゴからヒントを得た説。
亀山社中を支援していたグラバーが坂本龍馬との親交を通じて麒麟の体が龍と馬のような形をしていると言われていたことから、坂本龍馬を連想してロゴが生まれた説など、ビールのお供にはモッテコイ!の諸説が満載の麒麟ロゴなのでした。この話題だけで大瓶一本は軽く飲み干せそうです。