京都府立図書館〜そこはレトロな明治モダン建築の世界〜

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2019/07/04

「関西建築界の父」と称される武田五一氏の設計

岡崎に移転・開館し110周年

府立図書館が岡崎の地で建設されたのは、第10代京都府知事・大森鍾一(おおもりしょういち)が、日露戦争における京都府内の殉難者を弔うための戦勝記念館として1905(明治38)年11月に京都府会で府立図書館建築を提案し可決されたことから始まります。

当時の館長は、1904(明治37)年、4代目館長に就任していた湯浅吉郎氏(写真上/右)。氏は、欧米留学などの経験から図書館学の知見だけでなく、西洋文化に対する造詣も深かったそうです。

そして設計者は、東京帝国大学建築学科卒業後、3年間のヨーロッパ留学により最先端のアール・ヌーヴォーや、ウィーン・セセッションに感化を受けたとされる武田五一氏(写真上/左)。

まさに、当時最先端の西洋文化の粋を学んだ湯浅館長の采配と武田五一のセンスによって建設された図書館が、1909(明治42)年4月に開館するに至ったのです! そう、府立図書館は、岡崎に移転・開館して、今年でなんと110年なんですね〜!

武田氏が支持していたウィーン・セセッションとは、19世紀末から20世紀初期にかけて、近代芸術思潮を生んだ合理主義的思潮の芸術団体のことで、直線や幾何学的形態をモチーフとし、図柄なども単純な形態にしているのが特徴

この外観の装飾含め、その潮流が武田氏のデザインに反映され、前衛的と賞賛されました。来日中のドイツの建築家ブルーノ・ダウトには辛辣に意見されたそうですが、芸術作品とはそういうものなのかもしれませんね。

地上3階建ての建築平面図。普通、特別、図案、新聞、婦人、児童の閲覧室を備え、3階に講演室・研究室を兼ねた2つの陳列室があったことがうかがえます。建築図面にも京都府立図書館のシンボルマークになっている銀杏の葉があしらわれていますね!?

最先端&贅を尽くした設え

大閲覧室には、アール・ヌーヴォー調のシャンデリア、フランス製壁紙、書庫出納用エレベーター、防火用鉄扉、水洗式トイレなど、当時の最先端設備がふんだんに取り入れられていたのだとか。

天井には透かし唐草の飾り、扉の上端はアーチ型、カーテンと壁紙はフランス製…と贅の極みといった装飾が施され、床は鉄を利用した防火床の貴賓室皇太子時代の大正天皇も訪れたそう。


竹久夢二の初個展開催!

なんと!竹久夢二の初個展が開催されたのが京都府立図書館だったなんてご存知でしたか?

3階に設けられた陳列室は博物館的機能もあったことから、美術家の個展のほか、尾形光琳没後200年を記念する琳派の展覧会や、白樺社の展覧会なども催され、その様子について作家・志賀直哉と有島武郎が随筆に記すなど、府立図書館が文人交流のサロンとして機能していたそうです。

武田五一氏デザインの建築物

京都府立図書館の建築を機に、京都を中心に数々の大規模建築を手掛けるようになった武田氏。京都府立図書館の前衛的なデザインを見て依頼が相次いだのかもしれませんね!?

京都駅前に建つ関西電力京都支社(写真上)や、京都大学旧建築学教室本館なども武田氏の作品です。この他、多数の名建築を残しただけでなく、雑誌『新建築』の創刊や京都帝国大学(現在の京都大学)建築学科の創設などを含め、教育や後進の育成にも尽力したことから、関西建築界の父と称される存在になったそうです。

阪神淡路大震災の被害により本館改築

前述の通り平成7年の阪神淡路大震災により深刻な被害を受け、武田五一氏作の旧館は、外観のみを残す形で改築することになったわけですが、京都が誇る素晴らしい建築作品をファサードとして保存したことは、まさに英断といえますね。では、現存する外観と家具などから武田五一作品の神髄を見ていきましょう。

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