昭和美人に恋をする。白黒の世界を華やかに彩った美しき女優たち
時代を超えて愛され続ける昭和の名作邦画。半世紀以上前の作品でも色褪せず、現代でも見る人を映画の世界に誘ってくれます。そんな昭和の映画界を盛り上げたといっても過言ではないのが銀幕の女優たち。
そこで今回は昭和時代に国内外で活躍した、日本を代表する女優をご紹介していきます。
出演作品のなかにはAmazonプライム・ビデオやNetflix(ネットフリックス)、Hulu(フールー)などの動画配信サービスで楽しめる映画もあるのでぜひチェックしてみてくださいね。
出演作品数260本。大物監督に愛された「田中絹代」/山口県出身
若干14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を獲得した田中絹代さん(1909-1977年)。
小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男などの大物監督の作品に出演。さらに出演本数はなんと約260本という、まさに日本映画史を代表する大女優のひとりです。
五所平之助監督の『恥しい夢』(1927年)に芸者役として出演し、スター女優として人気を集めます。そのほかにも『マダムと女房』(1931年)や『愛染かつら』(1954年)などに出演。
また、1952年には『西鶴一代女』でさまざまな運命をたどる女性を熱演し、同作品はヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞しました。
戦前から戦後まで活躍した「原節子」/神奈川県出身
戦前から戦後まで活躍した日本映画史に残る大女優のひとり、原節子さん(1920-2015年)。
1935年に日活映画『ためらふ勿れ若人よ』で映画デビューし、初の日独合作映画『新しき土』(1937年)で一気にスターダムに駆け上ります。
その後、小津安二郎監督の『晩春』(1949年)、『東京物語』(1953年)などに出演を果たし、同監督からは女優として高く評価されました。
『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(1962年)への出演を最後に女優業を引退し、亡くなる2015年まで鎌倉にて隠遁生活を送っていたそうです。
巨匠監督の作品に出演し続けた「高峰秀子」/北海道出身
「デコちゃん」の愛称でも知られる大女優、高峰秀子さん(1924-2010年)。幼少期に母親がなくなり、祖母に引き取られたことがきっかけで北海道函館市から東京へ移住。
そして天才子役としてキャリアをスタートした高峰さんは、木下惠介監督の『二十四の瞳』(1954年)に出演。同作品は主演女優をはじめ、スタッフやキャスト全員が第二次世界大戦の戦時下を生き抜いた人たちによって制作された映画でもあります。
また、成瀬巳喜男監督の17本もの作品への出演を果たします。そのなかでも林芙美子氏の原作で日本映画界でも名作として知られる『浮雲』(1955年)は、彼女の代表作のひとつになりました。
晩年はエッセイストとしても活動し、『わたしの渡世日記』は、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。ちなみに、当時の女性としては珍しく愛煙家だったそうです。