日本初の偉業も。富山地方鉄道に「新・日本一長い駅名」が爆誕
日本初「LRT」と「フルカラーLED行き先表示」を導入
厳密にいえば、日本で初めてLRT(次世代型路面電車)を導入した会社は「富山ライトレール」という企業でした。
2006(平成18)年に、全国的に見ても久々の路面電車の新規開業・路線拡大の車両にLRTを導入します。
しかし、この富山ライトレールは、後に富山地方鉄道に吸収合併されました。しかも、もともとは「富岩線」という富山地方鉄道の一路線であったため、富山地方鉄道が日本で初めて、LRTを導入したといっても大きく間違っていないのですね。
そもそもLRTとは、従来の路面電車と違って、床が低く、乗り降りの際には、上り下りに負担がありません。
さらに静かでおしゃれで奇麗。路面電車=レトロで昭和感たっぷり=ちょっと古いというイメージとは真逆の路面電車です。
富山地方鉄道は、そのLRTを続々と投入していくなかで、富山市内の中心部を走る環状線「セントラム」として、新潟トランシス(本社・東京)の工場がある新潟県聖籠町から白と銀色、黒色の新車両を 2009(平成21)年に導入します。
その車両には、日本で初めて路面電車で「フルカラーLED(発光ダイオード)」の行き先表示が採用されました。路面電車の行き先表示といえば、またレトロな案内表示板が思い浮かびますよね。
もちろん、いまでも富山地方鉄道の古い路面電車は、行き先表示がアナログなのですが、それなりの頻度で走っている新車両に関してはLEDによる表示を見ることができます。
その先端的なデザインには、車体ラッピングも定期的に仕掛けているので、新車両が走る富山市内の景色を大きく変える役割を果たしているのです。
新幹線の高架下を南北に路面電車が行き来している
2014年に北陸新幹線が開業してから、気が付けばそれなりの年月が経過しました。
当時はテレビでも、北陸新幹線の延伸に関する旅番組やニュースが大半を占めていたと記憶しています。富山県の県庁所在地である富山市は、県内の中央に位置し、その富山市を上下に分断するように新幹線の路線が延びているのが特徴です。
いわば新幹線を境界線に北に富山ライトレール、南に富山地方鉄道が別々の路面電車を走らせていたのですが、国土交通省などの補助金も活用しつつ、富山市、富山ライトレール、富山地方鉄道が歩み寄り、富山ライトレールと富山地方鉄道が合併して南北を接続する路面電車の運行を打ち出しました。
新幹線駅でもある富山駅を高架化し、その下160メートルに新たに線路を引き、駅を設けます。南北で分断されていた路面電車をつなげて、さらに事業者として別々の会社だった富山ライトレールと富山地方鉄道をひとつにしたのですね。
こうした富山地方鉄道の取り組みは確実に評価されていて、いまでは路面電車が富山市民の(特に中心部に住んでいる人たちの)移動を助ける、大切な公共交通手段だと評価されるようにもなってきました。
日本には長崎や広島、富山と同じ北陸では福井県などが、路面電車を走らせています。必ずしもどこの路面電車も経済的に成功しているわけでありません。
しかし、富山地方鉄道の路面電車に関していえば、確実に富山市民(富山県民)に支えられ、存在感を日増しにしているといえます。
新型コロナウイルス感染症の影響が収まり、自由に旅ができるとなったら、日本一名前の長い駅はどのような場所なのか、のぞいてみてはいかがでしょうか。
そのついでに、いろいろ路面電車を乗り回してみて、数々のユニークなスポットや特徴に目を配ってみてくださいね。
- 参考
- 富山地方鉄道株式会社編『富山地方鉄道五十年史』(1983年)
- 街に映える白と銀 富山・環状線の電車搬入 – 北日本新聞
- 「37年ぶり環状線復活 富山市電、セントラム運行」 – 北日本新聞
- image by:坂本正敬
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