ニッポンの近代化を見守ってきた、東京「日比谷」の知られざる逸話
大人の街、日比谷。オフィス街でもありながら緑豊かで、都会と自然を併せ持つ落ち着いた雰囲気の街です。2018年3月には“映画の宮殿 THE MOVIE PALACE(ザ・ムービーパレス)”をコンセプトに作られた都内最大級の映画館「TOHOシネマズ日比谷」、そして約60店舗もの施設が集まった「東京ミッドタウン日比谷」がオープンし、新たな観光地として全国から注目を集めています。
そんな進化する街・日比谷で、今回はあえて歴史的なスポットをご紹介。近代化の象徴の街ともいえるこの地は、日本初がたくさん集まる場所でもあったのです。
※本記事は現段階でのお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウィルスの国内情報および各施設などの公式発表をご確認ください。
日比谷には6つの「日本初」 がある?
日比谷は東京都千代田区にある、有楽町から内幸町にかけた日比谷通り周辺一帯の街のことを指します。
日比谷という名称の由来は、その昔入り江で海苔や牡蠣を獲るための道具「ヒビ」が多くあったこと、そして干潮になるとひび割れた地面がのぞき、「ヒビの谷」に見えたことから、日比谷と呼ばれるようになりました。入り江だった頃が信じられないほど、今では高層ビルが建ち並び、人々の往来が多い日比谷。さっそく日比谷で6つの日本初を訪ねてみましょう。
ドイツの公園がヒント。日本初の西洋式公園「日比谷公園」
1903年6月1日に開園した日本で初めての西洋式公園である日比谷公園。この地はかつて毛利家や鍋島家などの大名屋敷が建ち並んでいました。今ではさまざまなイベント会場として使われたり、園内の野外音楽堂は開放感を味わえるライブ会場として人気です。
西洋の様式を取り入れた公園はドイツ留学を終えて帰国したばかりの林学博士の本多清六が設計案をまとめ、約2年の歳月をかけて作られました。当時、日本には西洋式公園は存在せず、本多博士はドイツのドイツ留学中に視察したプロシア・コーニッツ市営公園運動場をお手本に芝生広場を中央に配し、周囲に競走路を設けました。
現存する開園当初の公園管理事務所もドイツの建築様式で建てられたものでした。実は日比谷公園は東京でドイツを感じるスポットでもあるのですね。ちなみに本多清六は専門の林学を生かし、明治神宮の造営にも関わった人物で“日本公園の父”と呼ばれています。