京丹後市網野町に惹かれて移住を決意―老舗提灯屋「小嶋庵」の挑戦
寺社仏閣の提灯や祇園の「南座」前に掲げられた真っ赤な提灯、ショップのインテリアとしての提灯などを幅広く手掛ける、江戸寛政年間(1789~1801年)創業の小嶋商店。
この歴史ある提灯工房の10代目となる兄弟の兄である俊さんが2021年夏、京丹後市網野町に移住し、2021年10月に新たな工房「小嶋庵」を立ち上げました。
なぜ、網野町に?新しい工房で一体何をしようとしているのでしょう?移住のきっかけや、その思いについてお話を伺いました。
江戸時代から続く老舗提灯工房「小嶋商店」
京都市東山区の泉涌寺近くで、江戸時代から提灯屋を営む小嶋商店。現在は9代目の父・小嶋護さんと10代目の小嶋俊さん、諒さん兄弟が提灯を作り、兄弟の幼馴染で経営管理や海外PRを担当する武田真哉さんの4人で店を営んでいます。
その10代目、兄・俊さん一家が移住したのは丹後半島の付け根、京丹後市網野町の八丁浜から歩いてすぐ、潮の香を感じる場所です。
― 元々、網野町とはご縁があったのですか?
俊さん:僕は網野町が大好きで15年ぐらい毎年、夏になると必ず訪れていたんです。というのも妻のおばあちゃんの家が網野町にあり、妻が子供のころ、夏になるとおばあちゃんの家に泊まって毎日、海に行っていたという話をしてくれ、それを聞いて「行ってみたい!」と思ったのがキッカケです。
「小学校の横の道を抜けていくんだよ」と浜辺へ連れていってもらうと、そこにパーっと海が広がっていて「こんなところがあるの?」と思うくらいキレイで感動して、まさに一目惚れしたんです。それで、いつかここに住む!と決めました。
― それが今年(2021年)ついに実現したというわけですね。移住についてのお話は追々伺うことにして、まずは小嶋商店のお話を伺いたいと思います。小嶋商店は代々、自宅工房で、家族で提灯を作ってこられたんですよね。
俊さん:そうです。僕が工房に入ったのは高校を卒業してからですね。当時は祖父と親父、弟と提灯を作っていたのですが、実は当時、まだ1人でご飯が食べられないぐらいの状態だったんです。
というのも、うちが設定した提灯の単価が低すぎて、作っても作っても儲からない。ですが、僕も弟も将来は結婚して家庭も持ちたい……だから弟と会計を見直してみたところ、収支が全く合っていなかった。
しかも職人気質の祖父と親父は良い品を作ろうとするので、工房で一番売れている提灯は、作る度にむしろ赤字になっていたんです。そこで僕らが食べていける値段を付けようと、京都に住む別の仕事をしている職人さんに計算の仕方を教えてもらいながら価格を見直しました。
そうすると、徐々に経営者視点を持つ人や資料作成をする人が必要になり、そこで幼馴染であり、ドイツでバリバリのビジネスマンとして働いていた真ちゃん(武田真哉さん)に「一緒に仕事をしたい!」と口説いたんです。
そうしたら真ちゃんも「こっちの仕事の方がワクワクする」って言ってくれて。そうして少しずつ僕らのお給料が出るようになったんです。今、思えばよくやっていたなと思います。
どこか無骨でカッコイイ提灯
― そのころ(2015年ごろ)から京都の祇園にあるセレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」や、お宿の「星のや京都」、宮津市のお酢の老舗蔵「飯尾醸造」など、“インテリアとしての提灯”を見かけるようになっていくのですね。私も初めて見た時、提灯ってこんなにもカッコイイんだ! とびっくりしました。
俊さん:あのころは声をかけてもらったらなんでもしようと思っていた時期なんです。提灯を作るだけでは食べていけなくて、この技術を何か違う形で活かせないかなと探っていたんです。
そうしたらさまざまな職人さんや老舗店のかたから、「いや、お前たちが作っている提灯自体がカッコイイんだ」って教えてもらったんです。そこで僕も初めて、自分たちが作っている提灯がカッコイイものなんだと知りました。そんな時、「PASS THE BATON」さんから内装のお声をかけていただきました。
― あの店内に飾られた提灯は格好良くて衝撃的でしたね。飯尾醸造の飯尾社長も「PASS THE BATON」で小嶋商店の提灯を見てすぐに、これだ!と思われたそうです。この提灯を飾ったら訪れてくださったお客さんに喜んでもらえるなと思い、すぐに小嶋商店さんに連絡したとお話されていました。
俊さん:そうなんです。ありがたいことにお店に来てくださって。僕らも夫婦で宮津の蔵にお伺いして、どういうものを作るか相談させていただきました。
試行錯誤しましたが結局、何をしたかといったら今まで通り提灯を作ったってことなんです(笑)。「PASS THE BATON」も「飯尾醸造」の提灯も、いつも僕らが作ってお寺や神社、料理屋さんなどに納めている提灯と同じ物なんですね。今までの仕事のやり方ではキツイからと製法を変えていたら、提灯そのものがダメになっていたと感じています。
― 小嶋商店の提灯の製法とはどういうものなのですか?
俊さん:多くの提灯は1本の長い竹ヒゴを螺旋状に巻いて提灯の形にしていきますが、僕らのはさまざまな長さに切った竹ヒゴを一本ずつ輪にして和紙で繋げ、それを木型に嵌め、糸でかがって骨組みしていきます。
こうするとガチッとした、無骨でゴツゴツとした提灯になるんです。僕ら兄弟は祖父や親父がやってきた、頑なで実直なこの製法が好きなんですよ。僕、ほかにこんなに続いたものってないんです。提灯だけは何か違うんですね。なんでしょうね……分からないですね(笑)。