一体なぜ?米文学の父マーク・トウェインと地球最大の樹木の関係とは
2021年7月、米国の大手経済誌『Forbes』の電子版が、マーク・トウェインことサミュエル・クレメンズ氏が最晩年を過ごしたコネクティカット州の邸宅が売りに出されたことを報じました。
マーク・トウェインはアメリカ文学の父と呼ばれています。『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』らの代表作は児童文学の域を越えて、まさにアメリカの国民的文学とも呼ぶべき作品です。もしこれらの本を読んだことがなくても、いかだの上に乗って、手製の釣竿を肩に担いだ少年の姿はアメリカ人の原風景と呼んでも構わないのではないでしょうか。
トウェインはミズーリ州のミシシッピ川流域で生まれ育ち、これらの作品もその地が舞台になっていますが、それらの多くは終の棲家があるコネチカット州で執筆されました。しかし、作家として有名になる以前の若いころはアメリカ中を渡り歩き、新聞記者としてハワイやヨーロッパにも特派員として滞在した時期もありました。
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マーク・トウェインがカリフォルニアに残した足跡
蒸気船の水夫、銀山の鉱夫など、様々な職を転々としていた若きトウェインがカリフォルニア州サンフランシスコに移り住んだのは南北戦争さなかの1864年でした。日本では幕末の騒動がピークを迎えていたころ(元治元年)です。トウェインは30歳になろうとしていました。
サンフランシスコでは新聞記者という職を得、旅行記などの文章を発表するようになりました。マーク・トウェインというペンネームを使い始めたのもこの頃です。
トウェインとサンフランシスコといえば、とても有名な言葉があります。
“The coldest winter I ever spent was a summer in San Francisco.”
私が過ごしたなかで最も寒かった冬はサンフランシスコの夏だ(筆者訳)
ガイドブックなどでこの言葉を目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。サンフランシスコを舞台にした映画『48時間』(原題:48 Hrs.)にも、女性がこの言葉を口にして男性にマフラーをかけるシーンが登場します。
サンフランシスコは寒流に面した港町で、確かに真夏でも長袖を着るくらい涼しい日が多くあります。さすがに文豪は上手いことをいうなあと感心してしまうのですが、どうやらこれはトウェインの言葉ではないそうです。
有名な児童文学作家であると同時にユーモリストとしても知られているトウェインがいかにもいいそうな言葉だと、誰かがその高名な名前とこじつけてしまったのでしょう。
話が少し脱線しますが、このようにトウェインがいったとされて、実はそうではないという説が有力な言葉は他にもあります。
“Giving up smoking is the easiest thing in the world. I know because I’ve done it thousands of times.”
禁煙するなんて世の中で一番簡単なことだ。私は1000回やったからよく知っている(筆者訳)
「禁煙」が「断酒」、「1000回」が「100回」、と置き換えられて使われるときもあります。
本当にいったにしろ、いわなかったにしろ、そういっても不思議ではないと多くの人が考えるからこそ、世の中に流布するのでしょう。実際のトウェインもお酒が好きな、憎めない人間であったようです。
トウェインはハレー彗星が地球に近づいた1835年に生まれ、本人が予言した通り、次にハレー彗星が回帰した75年後の1910年に亡くなりました。当時としては長寿を全うしたといえるでしょう。
トウェインをアメリカ文学の父とするならば、その子や孫にあたるであろうアーネスト・ヘミングウェイ、ジャック・ロンドン、スコット・フィッツジェラルドらが多かれ少なかれアルコールに溺れて、命を縮めたことを考えると、幸運な晩年だったのかもしれません。