商店街にはヒーローが必要なんだ。板橋「まちづくりプロレス」誕生秘話
まちづくりプロレスのココロは「みんなの笑顔」
「ぼくたちのいうまちづくりプロレスは、要するに地域の人たちに、笑顔になる機会をまず届けたい、ということなんです。少子高齢化が進んで、全国どこでも人口が減り続けています。板橋区はまだ人口が増え続けているものの、いずれは減少に向かう。それは国全体の趨勢で、今のところ避けることのできない運命です。だけどじゃあ、運命だからといって手をこまねいていたらどうなるのか。住んでいる人たちの心は知らない間に荒んでいくでしょう。子育て世代の若い人たちは、夢の持てない地域から出ていきたくなる。子どもも大きくなったら出ていきたいと思うようになる。地域のことを誰も振り返らないような状況になりかねない。そういう悪循環を断ち切るには、行政による適切な政策ももちろん必要ですが、個々にはみんなが今暮らしている街に愛着をもてるような、そんな体験が日常的に必要だと思うんです。そしてプロレスには、大勢の人を集めたり、集まって下さった人たちを笑顔にする力がある」
その笑顔の体験をお年寄りは孫に、親は子どもに、子どもは将来の自分の子どもに、地域の楽しい思い出として語り継いでくれたら……。はやて代表は「そんな循環が生まれたら、もう本望ですよね」と語ります。
「まちづくりプロレス」と銘打つ、現在の形のいたばしプロレスリングが正式に旗揚げしたのは2年前の9月です。
8年前のはやて代表と高木恵一さんとの出会いの後、毎年7月開催の夏祭り「ピカちゃんのゆかいなオリンピック祭り」のたびに5年間、プロレス大会(はやて代表が当時プロデュースしていた団体が出場)は実施されました。しかし、それはあくまでも祭りを盛り上げるためのイベントという位置付けでした。
ところが3年前、前身の団体が解散するなどの紆余曲折があり、はやて代表は上板橋北口商店街とのコラボによるプロレス・イベントの継続を諦め、「身を引こうと決心」したそうです。
しかし、5年間のプロレス・イベントを通じてはやて代表との絆を形成してきた地元商店街の人々は、逆にはやて代表を激励します。その間の経緯を、やはり後日取材させていただいた高木恵一さんはこう語ってくれました。
「むしろこれを機会に、みんなで地域を本当の意味で盛り上げるためのイベントとしての夏祭りのありかたを、改めて考えよう。ただ一過性のイベントで、大勢の人が集まったらオシマイというのではなく、それを次に繋いでいけるような企画をみんなで考えよう。大勢の人を集める魅力があり、みんなを笑顔にする力をもつプロレスの開催を、改めて継続的にその中心軸とするには、どうしたらいいのか。そんな諸々のことをみんなで考えていこうとする気運が、とくに商店街の若手経営者を中心に芽生えていったように思います。そのすべてをひっくるめたキーワードが『まちづくりプロレス』だったのです」
最初は客寄せのプロレス・イベントとしてはじまった企画が、この経緯を境に、地域愛の醸成を軸とした、持続可能な循環力を備えたまちづくりプロレス(いたばしプロレスリング)へと、昇華されたのです。