商店街にはヒーローが必要なんだ。板橋「まちづくりプロレス」誕生秘話
『ニュー・シネマ・バラダイス』的まちづくりプロレス
リング上を軽やか、かつ速くて鋭い動きで動き回り、試合を引き締めるマスクマンはやてのリング名は、東北新幹線の「特急はやて」から命名されました。プロレスラー・はやての特徴は「最大時速275㎞」のキャッチフレーズ通り、メキシコ仕込みの軽快でスマート、スピーディーな試合運びです。
1964年生まれのはやて代表は、身長168㎝体重68㎏。プロレスラーとしてはかなり小柄ですが、子どものころからボクシングや空手、柔道などの格闘技が大好きだったそうです。
やがて大学生時代には関東学生プロレス連盟ライトヘビー級王座に就くなど、プロレスの魅力に目覚め、29歳で会社(筆記具の営業マンをしていたそうです)を退職し、プロレス界に入ります。
それ以後、さまざまな団体やメキシコ修行などで腕を磨いた後、プロレスラー養成所の講師を務め、興行団体を設立するなどの多彩な経験をへて、「上板橋北口商店街との出会い」を迎えます。それは今から8年前、2008年のことでした。
「知り合いに上板橋北口商店街の青年部部長だった高木恵一さん(現・上板橋北口商店街副理事長)を紹介され、商店街のお祭りでプロレス大会を開催することになったのです」(はやて代表)
はやて・髙木コンビを中心に、やがてスタートする「まちづくりプロレス=いたばしプロレスリング」の、これが序章となりました。
今回の主な取材期間は今年の7月と8月。その間にいたばしプロレスリングが、主催の商店街からの要請に応え、地元を中心に開催した大会は4地域4大会(3大会は板橋区内で、そのうち1大会は2日連続開催、残る1大会は復興支援の岩手県石巻大会)でした。
筆者は板橋区内の2大会を直接取材、もう1大会は観客の1人として参加し、それぞれ大いに楽しませてもらいました。
昼も夜も暑い連日の猛暑日のなか、いずれも無料の野外大会には、前述のように幼児からお年寄りまで、幅広い年代の観客がたくさん詰めかけ、大変な盛り上がりぶりをみせていましたが、筆者は「こんな光景や雰囲気を、どこかで、みたことがあるなぁ……」という強いデジャビュー(既視感覚)にとらえられました。
はやて代表に話をうかがっているときにもその話になり、よく思い出せないままに、「そういえば昔のイタリア映画に、あんなシーンがありましたよね。村の人たちがみんな街の広場に集まって、みんなで映画をみて、泣いたり笑ったり、拍手をしたりして、大いに盛り上がって……」と筆者。
すると、はやて代表は即座に「『ニュー・シネマ・パラダイス』でしょ。ええ。あれは、ぼくも大好きな映画です。ぼくたちのいう『まちづくりプロレス』のイメージにも、実はあれに近いものが確かにあります」と、にこやかに返してくれました。