なぜ北海道には「別」という地名が多いのか?
次に私たちは、川は山からい出て、海に注ぐものと思っているが、前代アイヌ人は違うのである。逆なのである。川は、海から来て、山へ行く生き物であると考えていた。
地名にも、擬人化したそれがあらわれているという。「オマンぺッ」(oman-pet 山奥へ行っている・川)「シノマンぺッ」(sino-oman-petずっと・山奥へ行っている・川)「リコマペッ」(rik-oma-pet高い所・に登って行く川)等。
また、私たちが川の出発点と考える「水源」「みなもと」と名付けているものは、アイヌ人は川の帰着点であるとした。「ぺテトク」pet-etok「川の行く先」「ぺッキタイ」pet-kitay「川の頭の先」等。
さらに、私たちが川の合流するところを落合と呼んでいるのに対し、彼らは「ぺテウコビ」pet-e-ukopi、すなわち「川の分かれて行く所」と名付けているのも同じ考えから来ているというのである。
あるいは、「ぺユニホパケ」pet(川)u-hoxpa(捨て・あう)-ke(ところ)、――川が互いに相手を捨て合う所。すなわち海の方からずっと一緒に連れ合って登って来た夫婦が、その場所で夫婦別れをして、別々になる、といったような考え方だというのである。
ではどうして、アイヌ人たちは、このような考え方を持つようになったのだろうか。『地名アイヌ語小辞典』の著者、知里真志保さんは次のように考察している。これは、アイヌ語研究での一般的な見方でもあるのだろう。
もともと、アイヌ人は、海岸線に沿って集落を作っていた。そして、内陸への交通は主として川によった。集落の側を流れる川を遡っては、サケやマス、熊や鹿をとったりして暮らしてきた。実生活に即して、川を遡って山へ行く生活の長い積み重ねの中から、川についてそのような考え方が自然に生まれてきたのである。
そこで、「川口」などといっても、アイヌの場合、「河口」「落口」ではなく、気持ちは「入口」なのだとも。なお、普通、川は女性に考えられているという。
川についての考え方は、北海道のアイヌも、千島のアイヌ、樺太(サハリン)のアイヌ人も同じなのだろう。
「別」は地名になっているが、むろん元来の川の名前にもなっている。北海道の地図で海岸線を巡ればいくつか見つけられるだろう。例えば道南の、後志利別川、尻別川、道東の頓別川、徳志別川、湧別川、西別川。もっとも和人としては、地名はともかく、川にはやはり川という名前を付けなければ収まらないというわけか、「別」の後に川がみなついている。
ところで、アイヌには、pet、ペッのほかに川を意味する言葉がもうひとつあるのである。「内」に音訳されている「nay」、ナィである。前述の『地名アイヌ語小辞典』によれば、北海道の南西部では、petを普通の川の意に用い、nayは、谷間を流れて来る小さな川の意に限定しているのだという。
樺太では、逆に、nayが普通に川の意を表し、petは、特に小さな川を表すとしている。しかし、古謡では、petを普通に使うと記述している。北千島では、全くというほどnayはつかわれないともいう。
なお、petの方は、本来のアイヌ語、そしてnayの方は外来語らしい。川のことを、古い朝鮮語ではナリ、現代方言でも朝鮮の一部にナイといっている地域があるようだ。
北海道の地名の別と内をみると、偏りなく混在しているが、別の方が多い感じだ。稚内(わっかない)アイヌ語のヤムワッカナイ(冷水沢)に由来。ヤムが省略された。歌志内(うたしない)「オタウシュナイ」(砂原の多い川)、静内(しずない)「シュトナイ」(ぶどうのある沢)、黒松内(くろまつない)「クルマツナイ」(和人の女性のいる川)、そのほか、木古内、岩内、中礼内など。