なぜ北海道には「別」という地名が多いのか?
実は東北地方にも「別」は少ないものの、「内」のついた地名が多く残っていることが指摘されている。
東北地方の別と内の実例として、工藤雅樹著『蝦夷の古代史』(平凡社)では次のような例を紹介している。「別」例では秋田市仁別(にべつ)、津軽半島の今別。また苫米地(青森県三戸郡福地村)のほか、~淵、~部、~辺、~壁、~首の地名も~ペッに由来する可能性があるとしている。
馬淵川(まべちがわ:岩手県北部に発し青森県八戸市で太平洋に注ぐ)、長流部(おさるべ:岩手県二戸郡浄法寺町)、母衣部(ほろべ)、母衣部沢(岩手県二戸郡安代町兄畑)。
「内」の例としては、十腰内(とこしない:弘前市)、平内(ひらない:青森市)、小保内(おぼない:秋田県仙北郡田沢湖町)毛馬内(けまない:秋田県鹿角市)柴内(しばない:秋田県鹿角市)、玉内(たまない:秋田県鹿角市)、相内(青森県三戸郡南部町)、行内(ゆくない:秋田市)とかなりの数に。一説では数百とも。
このように東北地方にはアイヌ語地名が数多く存在するのだが、これをどのように考えたらいいだろうか。いろいろ説はあるもののはっきりした答えは固まっていないようだ。
言語学者の大野晋さんは、地名が残っているのはアイヌ人がそこに住んでいた証拠だとする。そうでなくとも、東北の蝦夷(えぞ・えみし)はアイヌ語と同じ系統の言語を持っていたことを示す有力な証拠だとされる。
もっともアイヌ人が住んでいたとしても1,000年以上前のことだろう。また、アイヌ人とは日本人とは別の人種と思っている人が多いだろうが、決してそうではないという考えも出てきているようで、アイヌ人もアイヌ語についても更に謎が深まっているらしい。アイヌ人は渡来弥生人に追われた縄文人の子孫という説もある。
- image by:Shutterstock.com
- ※本記事はMAG2 NEWSに掲載された記事です(2017年2月16日)
- ※掲載時点の情報です。内容は変更になる可能性があります。