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日台友好の原点を探しに。一青妙さんが訪れた「花蓮」に残る日本人移民村

一青妙
一青妙
2018/05/19

2018年2月に大規模な地震に見舞われた台湾東部最大の街・花蓮。この街の魅力を女優・エッセイストの一青妙(ひととたえ)さんが紹介する当シリーズの4回目は、かつてこの地に暮らしていた日本人移民村の跡や、彼らが信仰のために建てた神社など、台湾の地に生きた日本人たちの息吹が感じられる歴史的遺構を巡ります。

日本と台湾の歴史に思いを馳せる移民村

かつて、花蓮には多くの日本人が暮らしていた。1900年から1920ころにかけてのことだ。彼らは農業移民として、台湾東部の開墾を目指し、日本の四国や北陸、東北地方や北海道と各地から太平洋を渡ってきた。

移民たちは、亜熱帯や熱帯気候に属する台湾で、慣れない気候条件や疫病が流行する厳しい条件に耐えながら、荒れ果てた地を耕しながら、家を建て、家族とともに暮らした。道路が整備され、集会所や学校、病院もでき、日本人による、日本人が生活を営む村がいくつもあった。

ほとんどの村には、信仰の対象となる神社が建立された。子供達の遊び場や、夏祭りの会場となり、村の人々が集まる中心的な役割を果たしてきた。

自然に恵まれている花蓮。レジャーを楽しむために訪れる人が多いが、日本人であるなら、花蓮に残された、日本と台湾に関連した歴史的遺構をたどる旅に出かけてみれば、また違う花蓮が見えてくる。

キーワードは「鳥居」と「神社」だ。

市内からいちばん近い移民村は、現在の吉安にできた吉野村だった。四国の徳島県吉野河流域から入植したため、吉野村と名付けられ、9戸20人の移民からスタートした。村のシンボルは真言宗高野派の寺院「吉野布教所」だ。現在は「吉安慶修院」となっている。

大正13年、吉野村で生まれ育った山口政治さんの著書『知られざる東台湾』(転展社)には、吉野村で育った人の思い出が多く紹介されており、そのなかには「オラが昔の ふるさと音頭」という開拓民の作った詩がある。

 始めは道も家もなく  雑木柱のカヤ建てて  ランプかこみて夕餉とる
 蕃人の出草におびえつつ  笑も消えし吉野村

 住みて間もなく大しけに  家みな倒れ野宿して  医者も薬も糧もなく
 病人ふえて世を去りし  もの多かりき吉野村

 蕃害マラリア恙虫  風土の変わるあまつちに  いばらの道をふみ越えて
 あれ野拓くや三十年  楽土となせし吉野村

 光りと水にめぐまれし  作りだしけり吉野村  タバコに甘蔗アンコ芋
 村特産とたたえられ  日本の宝庫吉野村

苦労をしながらも、たくましく生きてきた日本人たちの心の声が聞こえてくるようだ。

一青妙

エッセイスト・女優・歯科医。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれ、幼少期は台湾で暮らした。現在、台南市親善大使や石川県中能登町観光大使に任命され、日台の架け橋となる文化交流活動に力を入れる。家族や台湾をテーマにエッセイを執筆し、著書の『私の箱子(シャンズ)』『ママ、ごはんまだ?』(共に講談社)を原作にした日台合作映画『ママ、ごはんまだ?』がある。趣味はサイクリング。最新作は、台湾一周を自転車で走った体験記『環島 ぐるっと台湾一周の旅』(東洋経済新報社)。今回の連載で取り上げる花蓮に関する詳しい内容は『わたしの台湾・東海岸「もう一つの台湾」をめぐる旅』(新潮社)に記載されている。

日台友好の原点を探しに。一青妙さんが訪れた「花蓮」に残る日本人移民村
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