日台友好の原点を探しに。一青妙さんが訪れた「花蓮」に残る日本人移民村

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2018/05/19

台湾の地に生きた日本人が涙をこらえて歌った「故郷」

私の父は1928年に生まれたので、終戦までは日本人として生きてきた台湾人だ。10歳から日本へ内地留学し、日本人の級友たちに囲まれて勉強に勤しんだ。一時台湾に引き揚げたが、その後も日本に戻り、生涯の大半を日本で過ごした

すでに亡くなっているので、本人に聞くことは叶わないが、父のアイデンティティは日本人であり、故郷は日本ではなかったのかと私は考えている。

一方、父とは逆に、台湾で育った日本人もいる。2016年に日本でも公開された『湾生回家』という映画を見て、父とは逆に、日本統治時代の台湾で生まれ、暮らしてきた日本人も大勢いることを知った。「湾生」とは、日本統治下の台湾で生まれた育った日本人たちの呼称だ。

かつて花蓮で暮らしていた湾生たちが多く登場し、幼いころの記憶をたどっていくルーツ探しをテーマにしているドキュメンタリー映画は、9割以上が日本語ということもあって、台湾映画であることを忘れて見入った。

湾生たちの言葉には説得力があった。一緒に遊んだ友だちや、慣れ親しんだ家を捨て、台湾から日本へ引き揚げるときの湾生たちの思いはどれほど辛かったのか。通っていた学校、見てきた風景、もぎ取ったフルーツの味……。

再び訪れた花蓮は、記憶のなかに残っている花蓮とは様変わりしてしまい、会いたかった旧友はすでに亡くなっていた。

「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川」

映画のスクリーンから、歌声が聞こえてきた。かつて花蓮で、台湾の人たちと一緒に歌った歌を、涙をこらえながら湾生が口ずさむ。

花蓮に暮らしていた日本人は、花蓮が故郷であり、台湾が忘れられない地なのだ。彼らにとってアイデンティティのある部分は台湾で過ごした少年時代の記憶と分かちがたく結びついている。


最初はあるいは招かざる客だったかもしれない日本人。しかし、いつしか台湾の大地に生きる民となっていった。

「日本人と台湾人は共生していました。だから絆が深いのです」以前知り合いが私に語ったこの言葉が、しみじみ思い出される。

花蓮に出かけ、そうした歴史に思いをめぐらしてみたい。

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エッセイスト・女優・歯科医。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれ、幼少期は台湾で暮らした。現在、台南市親善大使や石川県中能登町観光大使に任命され、日台の架け橋となる文化交流活動に力を入れる。家族や台湾をテーマにエッセイを執筆し、著書の『私の箱子(シャンズ)』『ママ、ごはんまだ?』(共に講談社)を原作にした日台合作映画『ママ、ごはんまだ?』がある。趣味はサイクリング。最新作は、台湾一周を自転車で走った体験記『環島 ぐるっと台湾一周の旅』(東洋経済新報社)。今回の連載で取り上げる花蓮に関する詳しい内容は『わたしの台湾・東海岸「もう一つの台湾」をめぐる旅』(新潮社)に記載されている。

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