江戸時代から愛される、北陸のハワイ。白浜の無人島「水島」
江戸時代から知られる白砂の離島
そもそもこの水島という無人島は、いつごろから知られていたのでしょうか。関ヶ原の戦いの直後である1606年ごろの越前国絵図にすでに記されており、昔から磯見漁師の漁場として知られていたと、『福井県の地名』(平凡社)には書かれています。同書によれば、水島の由来は白砂をうがって水がわき出していたところから、土地の人が水島と呼んだと説明されていました。
残念ながら筆者はわき水を見た覚えがないのですが、島内には自動販売機も売店も何もありません。簡易トイレは用意されていますが、基本的には何もない離島です。敦賀半島側の船着き場にあるコンビニエンスストアで飲み物をしっかりと確保して、島まで持ち込んでください。
ちなみに島と敦賀半島側の船着き場を往復する渡し舟は、シーズン中の7月半ば~8月末であれば、半島側の色ヶ浜、浦底との間でピストン運航しています。
色ヶ浜や浦底までは、レンタカーでドライブを楽しみながら迎えますし、敦賀港(蓬莱町)からは色ヶ浜までの船も出ています。もう夏のシーズンは終わってしまいましたが、来年に向けて記憶に焼き付けておいてくださいね。
- 参考
- 福井県水島の海浜変形の実態と地形変化予測 – 土木学会論文集B2(海岸工学)
- 福井県の地名(平凡社)
- 日本地誌10 富山県 石川県福井県(二宮書店)
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