何もないんじゃなくて、見つけてないだけ。変わりゆく「富山」を愛する理由
「私、何がしたくて東京にいるんだろう」
恋焦がれてやってきたはずの東京。とはいえ、消化しきれないほどの文化の豊かさに、疲れをおぼえはじめてもいました。また同時期に、藤井さんの実家の状況も変化していたのです。
藤井
「母親は『地元に貢献したい』という想いが熱い人で、福祉介護の施設を開くことになったんです。それで、『薬局を手伝ってくれないか』と打診されていました。この件もあって、『富山へ帰ろう』、そう決めたんです」
故郷へ戻ったけど、話題を共有できる友はいなかった
2008年、ほぼ10年ぶりの帰郷。地元へ移り住んでも、自分は変わらないはず。そうたかをくくっていた藤井さん。しかしながら、せわしなく時を刻む東京と、ゆったりと時を刻む富山の差異は、やはり大きかったようです。
藤井
「富山で暮らす同級生たちは子育てで忙しい既婚者が多く、私のようにフラフラしている自由人とは話が合いません。私自身は何も変わっていないのに、みんなの人生はどんどん先へ進んでいる。人生そのものの速度が違うというか、周囲の環境が違いすぎました」
結婚し子育てに追われる、かつての同級生たち。仲間がいない。誰とも話題を共有できなくて寂しい。そんな気持ちが拭えず悩んだと、藤井さんはいいます。
藤井
「実家の薬局でレジ打ちをして、お薬を配達して1日が終わる。『何かを自分で発信したい』という、くすぶった思いを抱える一方で、このまま一生、何もなく平穏に過ぎていきそうだなとも感じていました。大好きな映画や音楽について語り合える友人たちが周囲におらず、東京への未練がどんどん募りました。この負の感情が消え去るまでに3年かかりました」
「富山なんて何もない」と愚痴をこぼしていた自分が恥ずかしくなった
代わり映えしない起居のなかで孤独と後悔に打ちひしがれる藤井さん。そんな彼女の胸に、ぽっと灯りをともしたのが、「富山以外の場所で暮らしたことがない」という中学時代の同級生「コンちゃん」との再会。
生粋の県民コンちゃんの自然体なふるまいに、こわばっていた藤井さんの心は溶かされていったのです。
藤井
「お互い30歳になって再会しました。久しぶりに会ったコンちゃんは、看護師をしながら地元の銭湯をめぐり、地元の大衆食堂でご飯を食べ、その場で楽しさを見つけながら暮らしていました。
銭湯ごとの特徴の違いを臨場感たっぷりに語る彼女の姿に、こちらまでワクワクさせられました。そして、自分から能動的に地元のよさを探してもいないのに、『富山なんて何もない』と愚痴をこぼしていた自分が恥ずかしくなったんです」
藤井さんはコンちゃんと再会し、「地べたの好奇心」の重要性に開眼したといいます。どんな街にも、そこに人がいるのならば、きっとおもしろい。何もないんじゃなくて、見つけていないだけなんだ。
オールドな故郷観を一気にアップデートさせた藤井さんはその後、ピストン藤井名義で、上京前には気がつかなかった富山の魅力をミニコミ『文藝逡巡 別冊 郷土愛バカ一代!』(現在4巻発行)におさめ、発信してゆくのです。
藤井
「ピストン藤井の『郷土愛バカ一代!』の元ネタは、地元の広告会社が発行するフリーペーパーで書いていた連載記事です。でも、編集長が変わって、『もっと誌面をおしゃれにしたい』といわれて、クビになりました。私におしゃれの引き出しがなくって(苦笑)。それが悔しくて、一から書きおろして自費出版したんです」
発刊のきっかけが「怒り」なだけあり、これまで語られることがなかった場所や人を徹底リポートした『郷土愛バカ一代!』は、鬱屈を爆発させたパッショネイトな内容。これが大いに話題となりました。
また、ヘルメットをかぶりホラ貝を吹く豪傑キャラクター「ピストン藤井」は、テレビをはじめ地元メディアから求められるようになっていったのです。