何もないんじゃなくて、見つけてないだけ。変わりゆく「富山」を愛する理由
文化のごった煮。富山有数の繁華街「総曲輪」
藤井さんが書きおろした『郷土愛バカ一代!』ならびに『どこにでもあるどこかになる前に。』には、富山の愛おしい場所や人々がむせ返るほどたくさん登場します。なかでもとりわけ「行きたい!」と目を惹いたエリアとスポットを2カ所、紹介しましょう。
まずおすすめなのが、「総曲輪(そうがわ)」。総曲輪は富山市内の大きな繁華街のひとつ。
総曲輪は1丁目から4丁目まで雰囲気が異なります。アーケードを擁する3丁目の全天候型野外広場「グランドプラザ」では毎年冬になると氷の代わりに樹脂パネルを使う「エコリンク」が設置され、スケートを楽しむ若者たちでにぎわう光景が。
藤井さんの富山再評価熱に火を点けたのは、主に総曲輪2丁目。品ぞろえに芯がある古書店やカフェ、雑貨店やアンティークショップが軒を連ねる、サブカル色が濃厚なエリア。東京にたとえるならば高円寺に近い街並みです。
総曲輪2丁目に大きくそびえるのが、本願寺富山別院。富山大空襲などで焼失したいきさつをもつ寺院で、1965(昭和42)年に鉄筋コンクリート造りのモダンな建物に生まれ変わりました。いわば総曲輪のランドマーク。塔の上に鐘があり、繁華街でありながら鐘の音が響き渡り、荘厳な雰囲気に包まれます。
藤井
「本願寺富山別院にくっついていた長屋が安く貸し出されるようになり、私と同じようにUターンしてきた若者たちが集まりはじめたんです。お寺を中心に小さな店が並んでいて、ごった煮感がある光景ですよね」
なくなるのがショックだった「フォルツァ総曲輪」
フラットに洗練されたアーケード通りに対して、2丁目は不ぞろいでワイルドな印象。とりわけ藤井さんが絆を強くしたのが、「フォルツァ総曲輪」。
こちらのフォルツァ総曲輪は藤井さんが富山へ帰郷した前年にオープンした官民連携のミニシアター。
これまで富山では公開されなかったアート系、ドキュメンタリー、カルトムービーなどを続々と上映。「映画に渇望していた」藤井さんにとって、「私の日常の一部」といっても大げさではない、なくてはならない存在となってゆきます。
また、フォルツァ総曲輪は映画館のみならず、イベントスペースとしても有意義に利用されました。藤井さんは「ピストン藤井の郷土愛学習発表会」「ピストン藤井大博覧展~夢・希望・珍珍~」なるさまざまなイベントを企て、大いに盛り上がりました。
ところが、フォルツァ総曲輪は2016年に休館が発表されたのです。
藤井
「フォルツァ総曲輪が休館することを知り、ショックでした。居場所が奪われるのがつらくて、存続をSNSで訴えました。私のように、映画館という暗闇のなかだからこそ光を感じられる人間がいる。それを知ってほしかった」
そういったいきさつを背景とするフォルツァ総曲輪は、路面電車が南北に統一されるタイミングに合わせ、2020年の春に復館が予定されているとのこと。取材時はリニューアル工事の真っただ中。総曲輪に再び、交流の場が生まれそうです。
御年90歳になる総曲輪のマドンナ
2丁目には、「総曲輪の女王」とも呼ぶべきキーパーソンがいます。それが「総曲輪ビリヤード」をひとりで切り盛りする水野田鶴子(みずのたづこ)さん。2020年で90歳になる、店主にして現役のプレイヤーです。
藤井
「田鶴子(親愛の情をこめて敬称略)との出会いは、本当に大きかった。彼女は90歳なのに、油ギトギトのフライドチキンを頬張るタフな女なんです。半世紀にわたって店を切り盛りし、若い学生から還暦越えの常連客まで、誰も拒まない。めちゃめちゃ激動の人生を送っているのに、『苦労なんかなんにもしていない』とサバサバしているんです。ここは富山の『開かれた異界』だと思います」
取材時、田鶴子さんは「消費税が10%になって、いつまで続けていけるか……」と少々弱気な様子。はからずも増税の余波を感じたひとときでした。