日本の美女に外国人も夢中。明治時代の鮮やかな着色写真たち
楽器を演奏する女性たち
ファルサーリ氏が撮影した写真のなかには、楽器を演奏する女性たちが多数遺されています。かつて江戸時代には、笠をかぶって各家を訪ね歩き、三味線などを演奏する「女太夫」という人たちがいました。
明治時代には禁止されてしまいますが、容貌に優れた人も多くいたとされています。こちらの写真の人が実際に女太夫だったかどうかは残念ながら不明ですが、音楽や芸に関しても時代の変化が現れ始めました。
江戸時代のころ、三曲合奏には琴と三味線、そして胡弓(こきゅう)が欠かせない重要な楽器とされていましたが、明治時代になると胡弓に変わり尺八がメジャーになっていったとされています。
こちらは月琴(げっきん)を演奏する女性。月琴とは中国から長崎を経由して輸入され、江戸時代から明治時代にかけて流行した楽器です。しかし、日清戦争のころから敵国の楽器とされ、廃れていったとされています。
琴を弾く女性の近くにも月琴のような楽器が置いてあることから、メジャーな楽器として親しまれていたことが分かりますね。
手紙をしたためる女性と、それをのぞき見している女児の様子。1870年代になると、日本の読み書きの普及率はかなり高かったといわれています。諸説ありますが、男子で40〜50%、女子で15%ほどが日本語の読み書きや計算などができたそう。
また、この写真が撮影されたとされる1898年は、徐々に尋常小学校就学率が高まっているころ。男女平均で約70%の子どもたちが初等教育を受けていたことがわかります。
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