日本の美女に外国人も夢中。明治時代の鮮やかな着色写真たち
明治を美しく彩る遊女たち
江戸時代から明治にかけて「髪結い(かみゆい)」という、現代の理容師の職業にあたる人たちがいました。営業スタイルによって呼び名が異なり、男性を担当し、店舗で行う男性の髪結いは「床屋」。そして女性を担当する女性の髪結いは「女髪結い」と呼ばれていたそうです。
この女性のヘアスタイルを手がける女髪結いは、主に遊郭を訪問しており、お客さんの要望を聞きながらトレンドの髪型に仕上げていたとされています。
明治時代には、全国に約350の遊郭があったとされています。しかし、外国人外交官や宣教師から人身売買を指摘され、明治政府は「芸娼妓解放令」を発令。しかし、この解放令は遊女たちが自由意志で営業しているという表向きができただけで、実際はまだ借金に縛られたままでした。
1873年には「公娼取締規則」が施行され、娼妓渡世規則などの新しい規則が誕生します。しかし、この遊郭の新しい規則に対して反対運動が起こり、江戸時代には華やかな高嶺の花とされた花魁たちも時代とともに社会的地位が低下していくこととなりました。
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