日本の美女に外国人も夢中。明治時代の鮮やかな着色写真たち
かつて横浜にあった永真遊郭
歴史を遡ること、江戸時代の1642(寛永19)年。現在の長崎県長崎市に丸山遊廓が誕生します。この丸山遊廓は当時では全国で唯一、外国人を相手としており、東京の「吉原」と京都の「島原」と並ぶ大きな遊廓でした。
丸山遊廓の遊女たちは長崎に設置された中国人の居住地区である「唐人屋敷」や「出島」に出入りすることが許されており、とても華やかな服装だったとされています。
そして時は流れ1859年。開国と横浜港開港とともに、横浜の関内に「港崎(みよざき)遊郭」が誕生。
港崎遊廓は、オランダ公使から遊女町開設の要請があったことなどにより開業した遊廓です。主に外国人を相手としており、同じスタイルの丸山遊廓の接客がお手本にされました。
場所は現在の横浜公園にあったとされていますが、火災の影響で幾度となく移転を繰り返します。
そして三度焼失した後、「永真(えいしん)遊郭」に呼び名を変えます。その頃に撮影されたのが、こちらの写真。
この永真遊郭は、名称の由来でもある現在の横浜市南区永楽町から真金町に位置しており、売春防止法施行の1958年まで続きました。
ファルサーリ氏が撮影した写真はかなりの作品数になったといわれていますが、火災によって消失してしまったものも少なくありません。
そのなかでも現代まで受け継がれている貴重な写真たちをいくつかご紹介してきましたが、残念ながら場所や年齢、写っている人の詳細までを特定できる人物写真はあまり多くありません。
しかしながら100年以上という時を経てもなお、明治時代を強く生きた女性たちの美しさは輝きを放っています。みなさんも古き良き明治の写真でタイムトラベルを楽しんでみてはいかがでしょうか。
- 参考:識字能力・識字率の歴史的推移-日本の経験(PDF)
- image by:Adolfo Farsari attributed / Public domain
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