江戸時代にチョコはあった?知ってたらスゴい「チョコレート」の歴史
戦中は「代用チョコレート」がつくられた
その後、日本では「食べるチョコレート」が花開きます。
1900年前後に、アメリカで技術を習得した森永太一郎が「森永西洋菓子製造所(現・森永製菓)」を創業。報知新聞に「チョコレートクリーム」の広告を載せ、板チョコレートの製造も始めています。
続いて、「不二家」や「東京菓子(現・明治製菓)」もチョコレートの製造を始め、日本にはさまざまな「食べるチョコレート」が登場します。
電車広告には、
<吾国に於ける最初の製造森永ミルクチョコレート、ポケット用1個十五銭出でたり>(『たべもの起源事典』より引用)
といった言葉が見られるようになり、大正時代の後半から昭和に入ると、チョコレートは爆発的に庶民の間で普及していきました。
しかし、その後にやってくる第二次世界大戦の影響で、チョコレートにも暗黒の時代が訪れます。
輸入制限令が出され、カカオ豆の輸入が制限されました。さらに開戦の1940(昭和15)年になると、軍需用以外のチョコレート製造が認められなくなります。
仕方なくこの時期、サツマイモや小豆などをいって粉にし、油やバニラを加えた代用チョコレートがつくられました。それだけ庶民の間で、チョコレートに対する恋しさが生まれていたのかもしれません。
戦争が終わり、1950(昭和25)年にカカオ豆の輸入が認められると、再びチョコレートが日本人の暮らしに戻り始めます。
完全な復活は1960(昭和35)年にカカオ豆、ココアバターの輸入が自由化されたタイミングでした。その後、さまざまなチョコレートがつくられるようになり、時は平成、令和と流れて現在に至ります。
2021年のバレンタインデー。チョコレートに詰まっている壮大な歴史の重みをかみしめながら、美味しさを楽しんでみてはいかがでしょうか。いつもとは違った視点でチョコレートの魅力を再発見することができるかもしれませんよ。
- 参考
- ソフィー・D・コウ、マイケル・D・コウ著『The True History of Cholocalte』
- 岡田哲著『たべもの起源事典』(東京堂出版
- 日本チョコレート・ココア協会監修『学んで楽しい、つくっておいしい チョコレートの大研究』(PHP)
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