江戸時代にチョコはあった?知ってたらスゴい「チョコレート」の歴史
「チョコレート」を初めて食べた人は岩倉具視?
ヨーロッパで発明された「食べるチョコレート」は、後に日本にどのようにして伝わってくるのでしょうか?
岡田哲著『たべもの起源事典』(東京堂出版)で「チョコレート」を調べると、
<1873年(明治6)に、遣欧使節として渡欧した岩倉具視一行は、フランスのリヨンで、日本人として初めて、チョコレートを試食する>(『たべもの起源事典』より引用)
とあります。
記録では、フランスのリヨンにあるチョコレート工場を一行が見学し、チョコレートを食べたとの話。
この時期、すでに「食べるチョコレート」はヨーロッパに生まれて、25年近くがたっています。「食べるチョコレート」を初めて食べた人は、表向きは岩倉具視だともいえるのかもしれません。
しかし、あくまでもその歴史は「食べるチョコレート」の話です。
江戸時代初期の鎖国が始まる前に、仙台藩主の伊達政宗が1613(慶長18)年に支倉常長を団長とする使節団をスペインに送っています。彼らは3年ほど、スペインに滞在していました。
この当時、中南米からスペインにチョコレートは入っていました。公式にカカオ豆の荷物がセビージャ港に輸入された時期は、1585(天正13)年と記録が残っています。
チョコレートはこの時点で、上流階級の人たちだけが手にしたはずですが、支倉団長は使節団の団長です。甘味を加えてもなお苦くて渋い、熱いチョコレートの飲み物を勧められた可能性は十分にあります。
さらに鎖国期間中も、一部の日本がチョコレートに接触している可能性は大いにあります。なぜなら1797(寛政9)年ごろの『長崎寄合町議事書上控帳』や『長崎見聞録』には、「しょくらあと六つ」「しょくらとを」といった記述が見られるとか。
しかも、チョコレートの飲み方や味まで書かれている点を見ても、一部の日本人が江戸時代に飲むチョコレートを体験していたかもしれませんね。
最初にチョコレートが販売されたのは「明治時代」
ただし、一般の日本人が当たり前にチョコレートを楽しむ時期は、明治時代を待たなければいけませんでした。
大政奉還から10年近くが経った1878(明治11)年の年末、欧米の文明がどっと日本になだれ込んできた時期に、「郵便報知新聞(現・スポーツ報知)」に、「米津風月堂(現・東京風月堂)」のチョコレート製造に関するニュースが掲載されています。
その文面は、
<菓子舗若松町の風月堂にては、曽て西洋菓子を製出し、江湖に賞美せられしより一層勉励して猶此度、ショコラートを新製せるが、一種の雅味ありと、これも大評判>(『たべもの起源事典』より引用)
と書かれています。
さらに報道の数日後、演劇や芸者などに関する情報を扱う東京の「かなよみ新聞」で、「猪口令糖・洋酒入ボンボン」という広告が掲載されます。猪口令糖とは「ちょこれいとう」と読むのですね。
スイスのダニエル・ピーターが「食べるチョコレート」にネスレ社のコンデンスミルクを入れて、ミルクチョコレートを発明したのは1876(明治9)年のことでした。先ほどの新聞記事が掲載されるタイミングは、1878(明治11)年です。
この間、九州では西南戦争が起きています。武士の世の中を取り戻そうと薩摩藩を中心とした勢力が戦争をしているなか、同じ日本人が一方では、チョコレートを製造し始めているわけです。もう、時代は動き始めていたのですね。