江戸時代にチョコはあった?知ってたらスゴい「チョコレート」の歴史

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2021/02/13

毎年恒例の「バレンタインデー」。意中の相手にチョコレートを用意しているかたもいれば、自分自身のためにバレンタインのチョコを買うこともありますよね。

このチョコレート、甘くてとてもおいしい食べ物ですが、一体どうやって日本に入ってきたのでしょうか?

身近で欠かせない食べ物でありながら、その歴史については意外に知らない人が多いはず。そこで今回は、各種の資料をもとにチョコレートの歴史をご紹介していきます。

※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウィルスの海外渡航・入国情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。

カカオとの出会いは、コロンブスがきっかけ

マヤの領主は民に対して、勝手にチョコレートの入った入れ物を触ってはならないと禁じたimage by:Mayan civilisation, Public domain, via Wikimedia Commons

そもそも、チョコレートは日本に来る前に、どのような歴史を歩んできたのでしょうか?その点に詳しい書籍として、ソフィー・D・コウとマイケル・D・コウの書いた『The True History of Cholocalte』があります。

同著によれば、あの世界史の教科書にも登場する探検家のクリストファー・コロンブスが関係していることが分かります。

スペイン女王イサベルの援助で、航海を続けたイタリア出身のコロンブスは、大西洋を横断。

そしてバハマなどがある西インド諸島、キューバ、ハイチ、南アメリカ北部、中央アメリカなどに到達します。岩波書店『広辞苑』によれば、その業績は「新大陸の発見」として世界中で評価されました。

彼の4回目にして最後の航海では、マヤ族の交易用のカヌーの中に、チョコレートの原料である「カカオ」を見つけています。

この瞬間が、ヨーロッパ人とチョコレートの出会いとして認められているのだとか。ちなみにマヤ族といえば、中央アメリカのユカタン半島周辺で栄えたマヤ文明の担い手です。


古代のマヤピラミッドimage by:Shutterstock.com

日本チョコレート・ココア協会監修『学んで楽しい、つくっておいしい チョコレートの大研究』(PHP)という書籍があります。

その本によれば、カカオは北緯20度から南緯20度のエリアでしか育たないのだとか。いわゆるコーヒーベルトよりも狭い、赤道に近いエリアです。

北緯20度は、沖縄でも入りません。琉球諸島のなかでも先島諸島といわれる宮古島、石垣島であっても、北緯24度から25度の間です。日本最南端の沖ノ鳥島が、あと少しで北緯20度に入りそうなくらいまで肉薄していますが残念ながら入らないのです。

もちろん、ヨーロッパも一緒で到底カカオなど育てられません。

カカオの育てられないヨーロッパ大陸から来たヨーロッパ人が、「世界史」上で初めてカカオに遭遇した瞬間は、コロンブスの新大陸発見の際に起きていたのですね。

チョコレートといえば「飲み物」だった

チョコレートは18世紀には貴族の間のおしゃれな飲み物となっていた。「朝のチョコレート」ヴェネツィアの画家ピエトロ・ロンギの絵画(1775年-1780年)image by:Pietro Longhi, Public domain, via Wikimedia Commons

『The True History of Cholocalte』によると、最初に新大陸へ渡ったスペイン人は、現地の人がカカオでつくる飲み物に見向きもしませんでした。

1575(天正3)年にヨーロッパで出版された著書『新世界の歴史』では、地元の人が大切にしているカカオ飲料を「ブタにふさわしい飲み物」と表現しています。現地で飲まれていたカカオ飲料は、水を用いてつくる、冷たくて苦い飲み物だったからだとか。

しかし時間が経つとともに、入植したスペイン人男性と現地の女性が結婚したりして、「新大陸」におけるスペイン人の暮らしに現地の生活が入り込んできます。

その過程で、スペイン人は冷たくて苦い飲み物を熱して飲むようになりました。甘味を加え、飲料をつくる手順にも改良を加えました。

image by:Shutterstock.com

さらには、熱いお湯と砂糖を加えれば、どこでも飲めるようなすりつぶしたカカオの豆を板状にしたインスタント飲料も開発します。

こうした改良もあって、「新大陸」で暮らすスペイン人にも、熱くて甘みを足したカカオ由来の飲み物のファンが増加。

この段階になって初めて新しい呼び名が必要となり、(成立過程には諸説があるようですが)「チョコラトル」、「チョコレート」と呼ばれるようになっていきました。

このチョコレートが次第に本国にも持ち帰られるようになります。

時のヨーロッパは、宗教改革(カトリックとプロテスタントの戦い)が起きたり、バッハが『マタイ受難曲』などを作曲しているころです。この間に、スペインのみならず、各国の特権階級の人たちにチョコレートが広まっていきました。

サン・バルテルミの虐殺image by:Francois Dubois, Public domain, via Wikimedia Commons

飲む人が増えるにつれて、改良はさらに進みます。オランダのバン・ホーテンが、1828(文政11)年にカカオ豆からココアバターの一部を絞り出す技術を開発して「ココアパウダー」を発明。

さらに、1847(弘化4)年にイギリスのジョセフ・フライがココアパウダーに砂糖とココアバターを混ぜて世界初「食べるチョコレート」を発明したり、1876(明治9)年にスイスのダニエル・ピーターが「食べるチョコレート」にネスレ社のコンデンスミルクを入れて「ミルクチョコレート」を発明したりします。

こうした歴史を経て、私たちの知るチョコレートができあがっていきます。逆をいえば170年ちょっと前、日本に黒船がやってくるちょっと前まで、チョコレートといえば食べ物ではなく飲み物だったのですね。

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