最難関の「大阪駅」へ…5歳の私と妹が体験した、はじめての電車旅
ゴールはもうすぐ。でも予期せぬハプニングが
あと5分もしたら大阪駅に到着する、というタイミングで、電車が止まりました。どうやら信号待ちではないようです。車内にいる大人たちが、ザワザワとし始めます。なんだか嫌な予感がしてきて、私の心臓もドクドクと熱くなってきます。…人身事故でした。
「一つ前を走る電車がお客さまと接触し…」
車内にアナウンスが響き渡ります。いまなら、「なんだ人身事故か。振替輸送探すか、タクシーで移動するか…」と次の行動を考えるところですが、幼稚園年長さんにはその意味を理解することができず、ただただ嫌な予感が心を埋め尽くすだけ。
「なあ、どうなってるん」「わからん…」「わからんって何」「わからんもんはわからんし」
突然起こったイレギュラーな事態に対する緊張と不安で、私たち姉妹の空気も険悪になっていきます。
「はよお母さんに電話したらいいやん」
妹が言います。
「でも、ここ電車の中やし」
小さなころからドがつくほど真面目な性格だった私は、この(私たちにとって)緊急事態の最中でも、以前聞いた“電車での通話は控えましょう”のマナーが、頭をかすめてしまったのです。
「は?そんなんいいやん」
そんなことを知らずに詰め寄る妹との押し問答。ますます険悪な雰囲気は悪化していきます。当たり前ですよね。電話をかければ、“なんでも知ってるお母さん”がすべてが解決してくれるはずなのですから。
でも、私はかたくなにそれを拒否しました。もしかしたら、子どもだけで旅を完遂したいというプライドがあったのかもしれません。
「はよかけてや!」
不安で苛立つ妹の声も、大きくなります。さすがにこれ以上空気を悪くすることはできず、首からかけていた折り畳み携帯で通話帳から自宅を呼び出し、家に電話をかけました。
私の拙い言葉で、母はすべてを察してくれました。当時はスマホもなかったし、遅延状況なんて調べることもできないはずなのに。
「いまトラブルで電車が止まっているけど大丈夫。ずっとそのまま乗ってたら、いつか大阪駅に着くから大丈夫。おばあちゃんには、尼崎じゃなくて大阪駅のホームまで迎えに行ってもらうから大丈夫」
“お母さんの声”ってすごいのです。状況は何にも変わらないし、電車も動く気配がないのに、「大丈夫」の一言で、すべてが大丈夫になってしまいました。
不安や緊張から完全に解放されたわけではないですが、とにかく“大丈夫”なので、大丈夫。妹も電話で母と話して、和やかな空気が戻ってきました。
それからどのくらい待ったのでしょうか。30分か、1時間か。ようやく電車が動き出しました。なぜか、この車内で待っている時間の記憶だけがすっぽりと抜けているんです。
でも、同じ車両にいたおばちゃんから、飴をもらったような気もします。何かの映画と混ざっているのかもしれませんが。それとも、大阪のおばちゃんのイメージが「飴ちゃん」なのかも?
電車が大阪駅に着いてドアが開くと、目の前におばあちゃんが待っていてくれました。
「よう来たねえ。びっくりしたねえ、怖かったやろう」
おばあちゃんは私たちを抱きしめて、言ってくれました。
「全然大丈夫やった!」
嘘をつくのも大概に…と言われそうなほどの真っ赤な嘘ですが、私たちは声をそろえてそう言います。
「そうか、よかったよかった」
そんな嘘も丸っと受け止めて、おばあちゃんも、笑顔で応えてくれたのです。
目的地だった尼崎へは、おばあちゃんの運転する車で行くことに。これにて、私たち姉妹の小さな大冒険はアッサリと幕を閉じます。
冒険には宝物がつきものですが、私がゲットした宝物は、おばあちゃんの車の中で食べた、阪神百貨店の美味しい「イカ焼き」です。
いまでもイカ焼きのお店の前を通ると、ふとこの大冒険の記憶が頭をかすめます。甘くて辛くて、ちょっぴり苦味も感じる大人なソース味が、私の大切な思い出です。
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