戦国時代にメリー・クリスマス。意外と長い日本人と「聖なる夜」の密なる関係

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2023/12/20

1960年代には現代風のクリスマスパーティーに

1937年頃の不二家 伊勢佐木町店 image by:PR TIMES

厳しい時代を乗り越え、クリスマスが完全に復活を遂げたのは、1950(昭和25)~1953(昭和28)年に起きた朝鮮戦争の特需のころです。

砂糖・小麦粉などの物資統制が解除されると、日本独自のクリスマスケーキの原型を不二家がつくり、甘い食べ物に飢えていた日本人の間で大ヒットを果たします。

1954(昭和29)年のクリスマスイブには、東京の盛り場に170万人が繰り出したと記録が残っているそうです。昭和30年代になると、クリスマス・デコレーション・ケーキの販売に日本中の洋菓子店が参入してきます。

ベビーブームに次いで都市近郊で核家族化が進むと、クリスマスの前後にホーム・パーティーを開く憧れが生まれます。ラジオ・テレビ各局がクリスマス特集番組を次々と放送した時期も1960年代です。

1964年10月に運行開始した東海道新幹線・0系電車(Wikipediaより)

1960年代が、日本人のクリスマスの過ごし方の原型をつくったと『クリスマス – どうやって日本に定着したか』(角川書店)では指摘されています。

盛り場に集まってどんちゃん騒ぎするクリスマスから、核家族化・マイホーム主義によるホームクリスマスが主流になり、ケーキを家で食べ、シャンパン風の飲料を口にし、子どもに親がプレゼントをあげる日になったのですね。

1970年代に入ると、クリスマスのデートスポットを女性雑誌などが紹介するようになり、ホームクリスマスに加えて、友達同士・カップルで過ごす楽しみ方に憧れが生まれます。

image by:Shutterstock.com

これらのキリスト教を抜きにしたクリスマスの祝い方に対し、現在のハロウィンに対する日本人のリアクションと同じく、苦言を呈する識者は、当時たくさんました。

しかし一方で、宗教行事としてではなく、季節の民族的行事としてクリスマスを肯定的にとらえる識者もいました。


今では毎年の定番となったクリスマス。定番になるまでにこれだけの長い歴史やできごとがあったと思うと、とても感慨深いですね。

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翻訳家・ライター・編集者。成城大学文芸学部芸術学科卒。富山在住。主な訳書『クールジャパン一般常識』、新著(共著)『いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日』。北陸のWebメディア『HOKUROKU』創刊編集長。WebsiteTwitter 

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