戦国時代にメリー・クリスマス。意外と長い日本人と「聖なる夜」の密なる関係
「クリスマス」が一気に普及。日本の季節行事に
明治から大正へと時代が移り変わっていくころ、クリスマスはどのように日本で変化していったのでしょうか。
明治10年代には、クリスマス用品の輸入が始まり、明治の中期になると、欧米留学から帰国した日本人のエリートたちがクリスマス文化を日本に持ち帰り始めます。
あの文豪の森鴎外も、豪華なクリスマスプレゼントをわが子に贈ったり、ろうそくを部屋に灯したりして祝ったみたいですね。
クリスマスの特集記事が当時の雑誌『女学雑誌』に出たり、家庭向け読本『久里寿満寿』が出版されたりと、知識を持たない日本人に対してクリスマスに関する情報が出るようにもなります。
あの有名な正岡子規が、俳句の世界で「クリスマス」を季語として初めて使った時期も同じころみたいです。
クリスマス商戦を森永が展開したり、日露戦争戦勝後の資本主義の発達によって商人たちの商売戦略にクリスマスが利用されたりと、明治の中期〜後期にかけては商業的な側面が都会では強まっていきました。
明治末から大正の初期になると、丸善や三越のクリスマスデコレーションがまちの風物詩となり、大正時代に入ると、クリスマスのイベントはいよいよ大衆化され、西洋文明の雰囲気をエンジョイする季節行事に変わっていったみたいです。
例えば、京都の都ホテルや東京の帝国ホテルでは舞踏会やダンスパーティーが開催されます。1918(大正7)年には、大阪の道頓堀にあるバーのような場所でも、文化人によって年忘れ仮装会が開かれました。
1925(大正14)年にラジオ放送が日本で始まるとクリスマス特番も次々と編成されます。
大正後期から昭和の初期にはダンスホールが流行し、身動きが取れないほどの数の若者がクリスマスの晩にはホールに押し寄せたのだとか。「クリスマス」の言葉自体の認知度も高まって、このころになると説明不要の定番行事になっていたみたいですね。