2011年春。田舎から上京した私が初めて知った都会は足立区「北千住」だった
四国の田舎に住んでいた私にとって東京は、ほしかった洋服を直接試着して買うことができるし、新しくオープンしたお店に電車ですぐ行くことができる。街並みも洗練されていて、歩いている同世代の子はファッショナブル。まさに憧れの地だった。
一方、私が育った田舎では雑誌に載っている洋服なんてお店に並ばないから、ネット通販じゃないと買えない。都会で流行ったお店なんて、この街にできることすらない。東京ではいたるところで見かける「サブウェイ」ができたのだって、私が高校2年生のとき。
街の中心にある商店街はお昼でもところどころシャッターが閉まっていて、夜になればどよんとした空気が漂っている。学校でイケてるといわれる同世代の子たちは、だるだるのジャージを着たヤンキーだった。遊ぶところはジャスコ一択。でもプリクラ機は全部で4台しかない。
そんな街を目的もなくふらふらしていた自分自身に飽きていた。なによりこんな街にいる自分が嫌になって、将来の夢もないのに私はずっと「東京に行く」ことだけを考えていた。東京にいるだけで、何か意味があると思っていたから。
四国から上京した、2011年の春
2011年4月11日。私は東京の大学へ進学することを口実に、ようやく田舎から抜け出して上京してきました。ちょうど東日本大震災があった年で、私が田舎で思い浮かべていたような、明るくて華やかな東京とは少し違う雰囲気だったことを覚えています。
震災後すぐということもあり、まだ東京で住む家が決まっていませんでした。そのため上京してすぐに行ったのは、家を探すための不動産屋さん。
一通り条件を提示してその日のうちに内見まで終わらせて、即入居可能な物件を契約(厳密にいうと親が一緒だったので契約までスムーズにいったのです)。東京で初めて私が住んだ場所、それが足立区の「北千住」だったのです。
当時の私が知っていた東京の街は「渋谷」「新宿」「原宿」「池袋」と、雑誌で良く見かけた「代官山」の全部で5つ。
「北千住」という街の名前を聞くのは初めてだったので、なんだか知らないところへ来たなぁという感じ。まだ住む実感がなかったため、人ごとのように北千住の街を見渡していました。
北千住の街は人通りも多くてジモトより栄えている。しかも、LUMINEもマルイもある。最初のころはマルイの「OIOI」を読めずに「オイオイ」と読んでいましたが…。
JRも地下鉄も通っていて、なにより渋谷まで1本で行ける(東武スカイツリーライン急行・中央林間行で乗り換えなし約45分)。そんな見知らぬ街で初めてのひとり暮らしがスタート。
しかし、当時は震災直後。上京のタイミングがずれてしまったため入学式にも出られず、みんなより遅れて大学生になった私は、まだ東京で友だちが1人もいませんでした。
サークルに入ることもなく、選んだ授業に出る毎日。ジモトから離れて寂しいけど、友だちもいないし、「渋谷」や「新宿」のような都会に行く勇気がない。
それでも北千住の街は歩くだけで楽しくて、お惣菜屋さんで夕ご飯を買ったり、アウトレットのスイーツ店でプリンを買ったり。なんでも手に入るし、私にとってはちょうどいい都会だったのです。