逆境に打ちかった不屈のホテル王「ヒルトン」が残した教訓
銀行よりホテルを選んだ理由
翌日、コンラッドは銀行を紹介してくれるブローカーと会っていた。二人はコンラッドが泊まっているホテルの道を隔てたところにあるダイナーにいた。
「なかなかご予算にあった銀行はないのですが、今日は二つ見ていただきたいと思います」
彼は資料を鞄から取り出して差し出した。それを眺めながら、コンラッドちらちらと目を自分の泊まっているホテルに向けていた。
「どうされましたか?」
「ええ。実は銀行よりもあれを買えないかと思いまして……」
コンラッドは窓越しに見えているホテルを指さした。ホテルのエントランス前には、フォード・モデルTが3台停まっていた。
「フォード・モデルTですね。9年前に自動車として初めて大量生産され、ブームに火をつけたモデルです。売れに売れましたが、そろそろあきられた存在になりつつあります。あれより昨年開発された前輪ブレーキ搭載のシボレー490がいいですよ。絶対に!」
ブローカーは目を輝かせた。
この男は自動車ファンか? そう思いながら、コンラッドは手の平を顔の前で小刻みに振った。
「えっ、車でない? ま、まさかあのボロホテルのことではないですよね?」
コンラッドはうなずいた。
「なぜホテルなどに? 銀行のほうが遥かに儲かると思いますよ。ホテルは水商売です。やめておいたほうが無難です」
「そうでしょうか? ホテルはひとつのスペースを多用に使ってお金を儲けることができます。銀行は利子の幅が決まっていますが、スペースは値段の幅が決まっていません。人が沢山はいったり、高い食べ物を食べたりすることで、同じスペースでも儲けられる額が大きく違ってきます。やり方次第では、銀行よりも多くのお金を儲けられるように思うのです」
その年、コンラッドは40部屋ほどの小さなモブレーホテルを購入することに成功する。若いころから父が経営する雑貨屋を手伝い、21歳で引き継ぎ、後にニューメキシコ州議会の議員をも経験した彼は、高度なビジネスセンスを身につけていた。彼の手腕の下、モブレーホテルは順調に利益を生み出していく。コンラッド・ニコルソン・ヒルトン32歳のことだった。
その後1925年にダラス、1927年にアビリーン、1928年にウエ-コと、コンラッドはホテル数を増やしていった。ホテル事業は順風満帆に進み、来年にはエル・パソに300室もの高級ホテル「エル・パソ・ヒルトン」が完成する。
夢を大きく膨らませて強い力を得る
「ヒルトンさん、エル・パソの次はどこにホテルを出すんですか?」
新聞の記事を読んでいたコンラッドは、秘書とした雇ったキャサリーンの問いに返事をしない。
「いつもは明るく返事を返してくれるのに、どうしたのかしら?」キャサリーンは少し大きめの声を出した。
「ヒルトンさん、どうかしました? なにか大変なことが書かれているんですか?」
コンラッドは新聞をおろしてキャサリーンの顔に視線を向けた。
「ごめん、ごめん。イングランド銀行が9月26日に金利を引き上げたそうだ。それによりアメリカのお金がイギリスへと流れているらしい」
「そうなんですか! でも大丈夫でしょう。こんなに景気がいいんですから」
「そうだといいんだが。近頃、株価が上がったり、下がったりしている。暴落すると大変なことがやってくる」
「大変なことって?」
「ホテル業は不況に最も弱いビジネスだからね……。いや、怖いことを考えるのはやめよう」
そういいながらコンラッドは、右手で右側の鼻の下のひげをツンツンと引っ張った。
「今後の計画だが、私は近い将来ニューヨークにホテルを出したいと思っているんだ。それも、これまでとは違う、精一杯大きな超豪華ホテルをね。それでヒルトンホテルの名を全米に轟かせるんだ。ニューヨークで名が売れれば、次は海外にでられる。それが私の夢だ」
「大きな夢ですね」
彼女は大きな目をさらに大きくして笑みを浮かべた。
「もちろんだよ。夢は大きくなければならない。大きければ、大きいほど、やる気も大きくなる。困難を乗り越えるには、大きなやる気が必要だ。そうだろう?」
コンラッドは両手を広げた。大きな夢を表現するかのように。
「そうですね。でも、あまりにも時間がかかる遠い話のようです」
コンラッドは窓の外に見える大きな木を指さした。
「あの大きな木だって、もともとは指先ほどの小さな種だったんだ。それがあんなに大きくなった。ものごとの始まりは、いつも小さなものだ。小さいビジネスが大きくなることを夢みながら、一歩づつ前進していく。辛抱強く続けていくしかないんだ」