逆境に打ちかった不屈のホテル王「ヒルトン」が残した教訓
グレード・デプレッションの恐怖
1929年10月24日の午前10時25分。ゼネラルモーターズの株価が80セント下落。それにけん引され、株価は極度の売り相場へと突入。午前11時には売り一色状態になっていた。シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、11人もの投機家が自殺をするという、後に「ブラック・サーズデー(暗黒の木曜日)」と呼ばれる惨事となった。
さらに翌日、全米の新聞がこの惨事を報道したことで、株は売られ続けた。週明けの28日にはダウ平均株価が13%下落。翌日も売り傾向は止まらず12%下落。ついに株価は9月の半値にまで落ちてしまった。
翌日、パニックに陥った投資家たちが株の損失を埋めるために、至るところから資金を引きあげはじめた。世に言われる「トラジディー・チューズデー(悲劇の火曜日)」が引き起こされたのだ。このグレート・デプレッション(世界大恐慌)で、アメリカ中のホテルの80%近くが破産に追い込まれるという惨事となってしまった。
ホテルの業績ほど景気に左右されるものはない。景気が悪くなれば、人々は動くことをやめる。ホテルに泊まる人はいなくなる。それでもホテルを開けておくために、スタッフを雇い続けなくてはならない。ホテルにとって人件費ほど大きな経費はない。また、腐ることを覚悟で、食材も仕入れておかなければならない。
さらに、コンラッドはホテルを購入した際のローンも返し続けなくてはならない。どのホテルも宿泊ゲストが来なく、みるみるうちに債務超過となり危機に見舞われた。
「コニー、祈りなさい。祈ることほどためになる時間の使い方はないのだから」
「母さん、祈り続けるよ。そして信じる。どんなことになろうとも、必ず神が救ってくれると」
コンラッドは両手をきつく握りあわせた。
働き続ける者に成功は訪れる
コンラッドはソフトハットを脱いで椅子に腰かけた。机を隔てて座っている男は書類を見ながら、ゆっくりと話し始めた。
「ヒルトンさん、大変お気の毒ですが、あなたのホテルをこのままにしておくことはできません。銀行としては、これ以上あなたの債務が増える前に買ってくれる人を探すことになります。また、ご自身を救うためにも、破産手続きを視野に入れておかれたほうがいいように思います。どうか合意書にサインをください」
男は書類とペンをコンラッドの前に出した。
コンラッドは机に両手をおいて腰をあげた。
「待ってください! 不況は回復するものです。時間がたてば、必ず返済はできるようになります」
そのレスラーのような広くぶ厚い胸板に圧倒されながらも、男は黙ったままを通した。コンラッドはゆっくりと椅子に腰かけてため息をついた。
見切りをつけるしかなかった。「ごねて得することなどなにもない。銀行に悪い印象を与えれば、今後も協力が得られなくなるかもしれない。戦争で経験したあの辛さにくらべれば、命があるだけましだ。あの時と同じように思えばいい。必ず神が救ってくれる……」と。
「それでは買い手を見つけてください。ホテルは買ったからといって、自動的にお金が入ってくるわけではありません。誰かが運営をしなければなりません。私が運営を引き受けたいと思います。買い手とその交渉をさせてください。そのほうが売りやすいはずです」
男は大きくうなずいた。
「なるほど。それはいいアイデアです」
コンラッドはホテルを失ったが、仕事は失わなかった。落ちぶれたと世間から言われようとも、マネージャーとしてホテルで働くことを決心したのだ。
「人は誰しもつまずくこともあれば、失敗することもある。成功はあきらめずに働き続けられる人に訪れる」……そう信じて彼は努力を積み重ねた。
1934年、景気の回復がはじまった。コンラッドに銀行からの借り入れが可能となる時がきた。彼は売れずに残っていたホテルを担保に入れ、資金調達に成功。ホテルを買った人たちは投資家ばかり。お金を出すとなればいつでも売買交渉に応じる。コンラッドは一軒づつ交渉にあたり、一度失ったホテルを取り戻すことに成功していく。
1943年。あの悪夢のような日から14年の歳月が流れていた。56歳になったコンラッドの顔にはしわが目立つ。だが、彼の胸は大きな夢ではちきれんばかりだった。
「さあニューヨークが待っている!」
そう言いながら、彼は青空を見上げて、ソフトハットを頭にのせた。
(つづく)
注:登場人物および彼らの言動は事実とは必ずしも一致しない場合もあります。