やなこと、全部わすれて。あの日見たかった「海の見える駅」へ
無人駅の下灘駅に起きた一発逆転の物語
戦前に誕生した下灘駅
下灘駅は1935(昭和10)年に誕生しました。当時は地元民の交通手段のほか、名産品のミカンを運搬する物流拠点としての役割も果たしていたそう。しかし自家用車の普及により、利用客はやがて減少。1986年に無人駅となってからは廃線の話も出てきてしまいました。
大ピンチを救ったのはあるポスターだった
平成の時代を迎えてもなお、閑散とした様子の下灘駅でしたが、1998年から2000年にかけて「青春18きっぷ」のポスターに3度採用されたことで、大きな転機を迎えます。それをきっかけに、「景観の良さ」が認知され、ドラマやCMなどのメディアに取り上げられるようになったのです。
観光客に影響を受けて地元民が奮い立った
人気の出始めは、一部のコアな鉄道ファンが訪れる程度でしたが、やがて一般の旅行客もつめかけるようになった下灘駅。当初は「こんな何もない駅に、どうして遠くから訪れるのだろうか」と感じた地元民が多かったようです。
しかし、観光客から「下灘駅がどんなに魅力的な駅なのか」を教えてもらう内に、地域の人々の間で、駅を街の誇りとして守ろうという意識が生まれました。やがて、荒れた構内は美化活動によって整備され、夏にはひまわり、秋にはコスモスが咲き誇る、今日の駅へ変貌を遂げました。
絶景駅が観光客によって汚されていく…
今回、ご紹介した12の駅のほかにも、全国には素晴らしい駅が点在しています。その魅力は海外にも広がり、近年は訪日外国人も含む多くの人々が、絶景駅でこだわりの1枚を撮るために遠方から足を運ぶようになりました。
たくさんの観光客が訪れることは街の活性化にもつながります。一方で、一部の観光客によって駅の秩序や崩されている残念な現状があります…。いつまでも美しい駅を守るために、私たちはどのようなマナーを心がける必要があるのでしょうか。
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