世界一と評された「ウォルドルフ・アストリア」と大富豪たちの痕跡
NYに誕生した大富豪、アスターファミリー
1763年、ジョン・ジェイコブ・アスターは、ドイツのウォルドルフに生まれた。1784年、新天地に夢を抱き渡米。1786年、ニューヨークにオープンした毛皮ショップが大成功し、中国と毛皮貿易を行うほどになる。そこで儲けた資金を運用し、オレゴン州アストリア地区で不動産投資を行った。
築いた財は、彼をアメリカ有数の大富豪へと導いた。1848年に他界すると、財産は子どもたちへと引き継がれ、アスターファミリーという大富豪ファミリーがニューヨークに誕生した。
19世紀後半、フィフスアベニューと33ストリートの北西の角にある土地は、アスターファミリーによって保有されていた。1893年3月13日、そこの一部に「ウォルドルフホテル」がオープン。ウイリアム・ウォルドルフ・アスターが、建築界の巨匠、ヘンリー・ハーデンバーグにデザインさせたホテルだった。その運営には、ホテルオペレーターのジョージ・ボルドが任命された。
「まあ、なんてこと!ウイリアムは、私のアップタウンの家の隣にホテルを建てて、私の暮らしの邪魔をする気ね!」
キャロライン・ウエッブスター・アスターは、甥がしたことにヒステリックな声をあげた。
「お母様、そうおっしゃらずに。お母様もダウンタウンでの生活をやめて、そろそろアップタウンの家に引っ越しましょう」
そういいながら、ジェイコブ・アスター四世は母に笑顔を見せる。
「なら、ウイリアムの建てたホテルよりも、豪華なホテルを建ててちょうだい。そしたら、考えるから」
ジェイコブは腕組みをして、しばらく考えた。
「わかりました。そういたします。あのホテルは13階建てですから、それよりも高いホテルを建てましょう」
「そうしてちょうだい!そうねえ、17階建てがいいわ。あまり高くすると、文句をいわれそうだから。4階だけ高いホテル。でも、部屋数は2倍くらい大きくしたいわ。ねえ、誰にデザインさせるの?」
「ヘンリー・ハーデンンバーグをおいて、適任はいないです」
「そうね!なんといっても彼ね。私が彼と話すわ。絶対にウォルドルフホテルより、素晴らしいものをつくってくれるように頼むわ」
ジョン・ジェイコブ・アスター四世は、その地にアストリアホテルを建設。1897年にオープンさせ、運営を、やはりジョージ・ボルドに依頼した。ジョージ・ボルドは2つのホテルをピーコック・アレイ(細い道)で結ぶことを提案。
甥と叔母という関係にありながら、不仲な2人から生まれた2つのホテルは1つのホテルとなり、名称を「ウォルドルフ=アストリア」とした。当時、世界一大きなホテルとなった。