世界一と評された「ウォルドルフ・アストリア」と大富豪たちの痕跡
キング・オブ・ホテルといわれた「セント・レジス」誕生
「あなた、またホテルを建てるつもりなの?」
「誰から聞いたのですか?」
「ジョン・ジェイコブ・アスター四世の行うことは、すぐに噂になります。直接、聞かなくても、私だって、社交界に生きている女性ですからね」
「そうですか…。実は、フィフスアベニューと55ストリートの東南の角に建てるつもりです」
「ウォルドルフ=アストリアが、こんなにも人気があるというのに、どうしてまた?」
「そう見えますが、実は、人気はもっと上の方の地域に移動しているんです。これからは、セントラルパーク周辺のホテルが流行ることになります。もうこの土地は古くなってしまいました。これから廃れていきます」
「あら、そうなの…残念ねえ…。それにしても、血は争えないわねえ」
「血?」ジョンは首をかしげた。
「そう。60年以上前に、アスターファミリーの財産を造った、ジョン・ジェイコブ・アスターがダウンタウンに建てたアスターハウスは、当時、世界初の豪華ホテルとして大人気だった。あなたにも、ホテルを求める血が流れているようだわ」
ガリガリ。ジョンは頭をかいた。
ジョン・ジェイコブ・アスター四世が、フィフスアベニューと55ストリートの角に建てたホテルは、1904年に完成し、「セント・レジス」と名付けられた。それはニューヨークで最も豪華なホテルとなり、「キング・オブ・ホテル(ホテルの王)」といわれる存在になった。
さらに、2年後の1906年、42ストリート沿いのタイムズスクエアにも、「ニッカーボッカーホテル」をオープンさせた。彼が建てたホテルはどれも、当時のニューヨークを代表する超豪華ホテルとなった。
だが、1912年4月15日、訃報が届く。
ジョン・ジェイコブ・アスター四世を乗せた豪華客船「タイタニック」が、イギリスのサザンプトンからマンハッタンへの航海中に沈没。彼は帰らぬ人となり、息子のビンセント・アスターが財産の多くを相続した。
しかし彼は父親のように、ホテルを愛する男ではなく、1919年に発令された禁酒法がレストランとバーの売りあげを下げると、さっさとニッカーボッカーホテルをオフィスビルに改築してしまった。
続いて、ウォルドルフ=アストリアをエンパイアステートビルのデベロッパー(建設会社)に売却し、セント・レジスのみを保有した。だが、それもビンセントの他界後、1959年にはアスターファミリーの手を離れ、1967年にアーネスト・ヘンダーソン率いるシェラトンホテルズに買収された。