なぜ神社ではかしわ手、お寺では合掌?お正月の恒例行事に隠された謎
昔の「さい銭」は、お金ではなかった?
初詣の際に投げ入れる「さい銭」については、どのような由来があるのでしょうか。
広田千悦子著『にほんのおまじない』(徳間書店)によれば、もともとさい銭はお金ではなく、お米や雑穀を紙に包んで(おひねりにして)お供えしたと言います。
あるいは海や山の幸が供えられたとも、神社本庁のホームページには書かれていました。要するに、昔のさい銭はお金ではなかったのですね。
では、このお金を供えるという発想は、いつごろから生まれてくるのでしょうか。その始まりは当然ですが、
<神仏へ参詣するとき賽銭を奉る風習は,庶民社会に貨幣経済が浸透した時代に起こった>(『世界大百科事典』平凡社より引用)
とあります。手元に銭貨がなければ、神仏に投げようにも、投げる銭貨がありません。
日本では物々交換の時代を経て、中国の貨幣をモデルにした富本銭が683年(飛鳥時代)に造られます。その後、708年の和同開珎を皮切りに、奈良時代から平安時代にかけて12種類の銭貨(皇朝十二銭)が造られました。
皇朝十二銭の12番目、958年の乾元大宝を最後に、16世紀の中ごろ(1550年ごろ)まで、日本での銭貨造りはストップします。それでも、その間に中国からの銅でできた銭貨が続々と輸入され、永楽通宝などが全国で使われるようになっていきます。この時期が、庶民の間にも貨幣経済が浸透していく時期なのですね。
平凡社の百科事典によれば、16世紀半ばに鎌倉の「鶴岡八幡宮」にさい銭箱が置かれたという記述が、確認できる最古の記録だとか。
時代と共にお米よりお金が一般的になり、供え方も包んで供えたスタイル(おひねり)から、お米やお金を裸のまま神仏に向かって投げるスタイル(散銭)が、主流になっていったみたいですね。
ただ、この散銭、あくまでもお供えという行為ですから、投げ入れ方にも丁重さがあった方が好ましいと、神職に就く友人が教えてくれました。