さよなら、ありがとう。歴史とともに振り返る、僕たちの「としまえん」

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2020/09/12

2020年8月31日、94年の歴史に幕を閉じる形で「としまえん」が閉園しました。

いまでこそ日本の遊園地といえば大人も子どもも「東京ディズニーランド」が当たり前のように挙がりますが、昭和の時代、まだ東京ディズニーランドが遠い異国の夢物語だったころ、子どもたちがその小さな胸をいっぱいにときめかせ、まるで冒険に出かける気持ちで訪れたのが「としまえん」だったのです。

昭和を駆け抜けた、「としまえん」の歴史

image by:小林繭

「としまえん」の開園はなんと1926(大正15)年。つまり、昭和元年となった年にその歴史がスタートしました。公式サイトには以下のように記されています。

当時財界人の一人であった藤田好三郎氏が所有していた土地を、運動と園芸を東京市民に広く奨励するために公開したのが始まり

引用:としまえん「としまえんの歴史」

ちなみに「としまえん」があるのは練馬区。それなのにどうして“豊島園”なのかというについては、この土地を治めていた豊島左近太夫景村の居城跡にあたることから、それにちなんで「豊島園」と命名したと同サイトで説明されています。

日本にまだアミューズメントがなかった時代にはじまり、戦争中一時的な閉園となるも、戦後は文字通り昭和を駆け抜ける形で次から次へと数々の新しいアトラクションを導入。

image by:小林繭

まさに、日本のアミューズメントパークのパイオニアとして時代を突き進んでいった「としまえん」。当時の子どもたちにとっては、圧倒的、絶対的な夢の空間であり、この遊園地で狂喜乱舞しながら遊んだ日の記憶を、いまでも鮮明に覚えている人も多いはず。

その後、東京ディズニーランドの開園などアミューズメントパーク全体の時代も移り変わっていきますが、この地域の人々にとっては親子を超えて孫やひ孫まで、3世代にも4世代にもわたり愛されてきた地元密着型の遊園地だったのです。

世界初や日本初が目白押し、絢爛豪華なアトラクション

「としまえん」と聞いて、みなさんが思い浮かべるアトラクションは何でしょうか?

image by:小林繭
image by:小林繭


空飛ぶ絨毯で空を旋回する「ジャスミンのフライングカーペット」や“地上45mの空中航海”のキャッチコピーで一躍人気となった「フライングパイレーツ」といった遊園地のお馴染み人気アトラクションにはじまり、迫力満点のローラーコースター「サイクロン」、夏の人気ナンバーワン「ハイドロポリス」などの絶叫マシンも有名です。

image by:小林繭

当時はめずらしかったホーンテッドマンション式の乗り物に乗って回遊するタイプのお化け屋敷「ミステリーゾーン」や、ジープでめぐる「アフリカ館」(1998年終了)など、記憶の底から次から次へと固有名詞が上がってくるのは、私がやはり子ども時代「としまえん」を体験した世代だからでしょうか。

地上45mの空中航海「フライングパイレーツ」 image by:小林繭

そんな時代のエピソードとして、導入以来「としまえん」を代表する人気のアトラクションとなった、「フライングパイレーツ」のアンコールの話はみなさんご存じでしょうか。

初期の頃は動きが終わるとお客さんから「アンコール!」の声が上がり、その声に応えるかたちでもう一度海賊船が動き出すのがお決まりだったとか。いまではちょっと考えないかもしれませんが、なんだかいい話ですよね。

image by:PR TIMES

ちなみに「としまえん」といえば、夏のプールも大人気。最初にプールが完成したのは1929(昭和4)年のことで、その後1965(昭和40)年にはあの「流れるプール」が登場。

image by:PR TIMES

当時、プールが流れる!というのは大変画期的な仕掛けで、なんと世界初だったそう。この「流れるプール」をはじめたくさんのアトラクションが楽しめる夏のプールは大人気となり、バブル全盛期にはプールの来場者だけ日に5万人を超えたというのだから、すごすぎます。

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