シンボルも巨大に見える?かつて日本人男性が熱心に処理した「下の毛」事情
江戸時代の男性は、熱心に毛の処理をした
古代の奴隷制度が終わると封建制度を土台とする中世がやってきます。ヨーロッパでは、古代ローマ帝国が没落しゲルマン人が台頭して、暗黒時代を経てからルネッサンスへと突入します。その間「体毛はない方が美しい」との価値観が続いたみたいですね。
日本の中世の始まりといえば鎌倉時代です。鎌倉時代には、月代(さかやき)のため戦時に頭髪を抜く文化が武士の間に定着し、庶民にも毛抜きの風習が広がります。
封建制社会の世の中が世界各地で終わりを告げると、資本主義社会が地球上で主流を占める近代が始まりました。
このころのヨーロッパでは、しみひとつない白い肌が美の基準となり、その基準に合わない体毛は処理の対象になります。
「民間療法」として自家製脱毛剤の精製が始まり、フランスでは安全カミソリが発明され、イギリスでカミソリは改良されました。
一方の日本では、刀剣の技術を生かした国産のカミソリが江戸時代に誕生します。鎖国が始まり徳川の世が安定して平和な時代が訪れると、いよいよ脱毛文化も花開きます。
このころになってようやく、下の毛の処理に関する情報もたくさん見られ始めるようです。
主役は、女性ではなくむしろ男性です。男性が銭湯で脱毛にはげみ、握りこぶしくらいの大きさがある軽石(毛切り石)を使って、すね毛・脇毛・下腹部周辺の体毛を除去したみたいです。
軽石をこすり合わせる音がカエルの鳴き声みたいに聞こると書いた文学作品もあるそう。
そもそもVIOラインの脱毛にどうしてこれほど男性が取り組んだのでしょうか?その理由は、ふんどし姿になったとき、処理していないと格好が付かなかったからなのだとか。
一方で女性は、まゆ毛など一部の体毛を除いて処理しなかったといいます。当時の着物は肌の露出が少ないために男性ほど必要を感じなかったからですね。
しかし、同時代の女性でも遊郭の女性は脱毛に取り組んだといいます。
大切な場所の処理にも熱心で、二枚貝で挟んで毛を抜く、手切り石で挟んでこすって切る、毛先を線香で焼く、木の実から抽出した油と軽石の粉末を混ぜた「脱毛剤」を塗り込んで脱毛するなど、あの手この手でヘア問題に取り組んだのだとか。
ふんどしを履く江戸時代の男性にせよ遊郭の女性にせよ、自分の素肌が人の目に留まる機会が増えるほど、体毛の処理に人は取り組むようになるのですね。
現に、明治時代に入ってから着物ではなく洋服を日本の女性が着るようになると、一般女性にも脱毛ブームが起きました。肌の露出が増えるからですね。明治時代の後半にはエステが生まれ、家庭内では脱毛の危険な試行錯誤が始まります。
同じころ世界では、1875(明治8)年に電気分解脱毛法がアメリカで発見されます。電気分解脱毛器が世に出た時期は1916(大正5)年。時を前後して1901(明治34)年には、T字型カミソリが誕生し、安全に脱毛できる環境が整っていきました。