シンボルも巨大に見える?かつて日本人男性が熱心に処理した「下の毛」事情
日本人も古くから脱毛していた歴史がある
ネアンデルタール人は絶滅しますが、生き残った現生人類であるホモサピエンスも、体毛に関して似たような考えを持ったと考えられます。体毛に関する選択(薄毛を選び交配する)の積み重ねが、現代人の体毛の「少なさ」を特徴付けているのかもしれないともいわれているのですね。
なんであれ、現代人の祖先の一部は現在の日本列島にも数万年前にたどり着きました。日本の石器時代に生きた祖先たちも、黒曜石(こくようせき)などで髪や体毛を削り取ったのではないかと推測されているのです。
人が体毛を処理したくなる根本的な理由は、赤ちゃんの生存率と関係しているとの意見もあります。
母親に抱っこしてもらい、母乳を与えられるかどうかで赤ちゃんの生存率は大きく左右されるとの説もあるそう。皮膚と皮膚の触れ合いを、体毛の極端に少ない赤ちゃんが一種の「武器」にしているとの意見もあるのですね。
大人になっても現代の人たちが脱毛したくなる背景には、肌と肌の触れ合う体験を、夜の生活の際にパートナーに再体験させる(=性的魅力を高める)狙いも根底にあるようです。赤ちゃんや子どものころ、親との肌の触れ合いのなかで感じた気持ち良さを誰もが覚えているからですね。
いわれてみると確かに、体毛がほぼ存在しない肌同士の触れ合いと、体毛が濃密に存在する肌同士の触れ合いでは、印象がかなり異なる気がします。
こうした人間にとっての根本的な欲求は、原始時代の後に続く奴隷制度の社会(古代)においても引き継がれました。
日本の古代にあたる飛鳥時代にも鉄製のカミソリは伝わっており、二枚貝で挟んで顔の毛を抜いたり、中国から伝わった木製のピンセットを使って体毛を処理したりと、平安時代には美容の目的でも脱毛が始まります。
本題であるデリケートゾーンの処理をしていたかどうかははっきりしないみたいですが、『枕草子』や『源氏物語』などの文学にも脱毛の描写が登場するみたいですね。