公園は巨人の足跡だった。相模原に残された「でいらぼっち」の伝説を辿る
富士山は自然の山ではなく巨人が運んできたという…。
その土を取った跡は琵琶湖や甲州は盆地に、富士山を背負った巨人は西から東へ移動し、その足跡は神奈川県相模原市に残っていたという伝説があります。
このお話は本当なのか?そもそも雲をつくような大男は存在したのか?その痕跡を辿り、巨人伝説が残る相模原市を散策してみました。
※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウイルスの国内・各都道府県情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。
「相模原市」で巨人伝説の地をめぐる
神奈川県相模原市は、巨人の足跡がいくつも残っていたという伝説が残る地のひとつ。そのなかでも有名なのがJR横浜線「淵野辺駅」周辺です。
ちなみに、この淵野辺駅は宇宙科学研究所(JAXA相模原キャンパス)の最寄り駅で、駅のスグ近くには「RX-78-2 ガンダム、はやぶさ」デザインマンホール蓋が見られます。
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でいらぼっちの右足跡「しょうぶ沼」
さて、そんな淵野辺駅から東へ約8分ほど歩いた住宅街のなかほどに「弁天神社」が祀られており、そこには巨人伝説の手がかりが書かれています。その案内によると、巨人の右足跡が「しょうぶ沼」、左足跡が「鹿沼」になったと…!
より詳しい情報が知りたい場合は、淵野辺駅スグの「相模原市立図書館」に立ち寄ってみると良いでしょう。
例えば、相模原市に伝わる巨人の伝説の全容は以下の通り。
その巨人の名は「でいらぼっち」、富士山を背負って西から東へ。そして、その重さに疲れ、雨降山(大山)に腰を下ろし、相模川の水をすくって飲んで休憩したそうな。そして、立ち上がり再び富士山を背負おうとしたら、富士山に根が生え、両足を大地に踏ん張って引き抜こうとしたがびくともしない。
そのときに踏ん張った足跡が相模原市の「鹿沼」「しょうぶ沼」、地団太を踏んで悔しがった場所は「じんだら沼」になったという。
でいらぼっちの足跡と伝わる「しょうぶ沼」は、先ほどの「弁天神社」と業務スーパー「エスポット淵野辺店」の前にある石碑から、この付近一帯と推測できます。いまでは当時の面影は全くありませんが、とっても大きな沼だったようです。
ちなみにこの巨人、相模原地方では「でいらぼっち」と呼ばれていますが、実はさまざまな名称で知られており、「だいだらぼっち」や「でいだらぼっち」としても伝説が残っています。
ジブリ映画『もののけ姫』で、「デイダラボッチ」という名を聞いたことのある人もいるのではないでしょうか。
- 弁天神社(菖蒲沼龍神)
- 神奈川県相模原市中央区淵野辺5丁目10
でいらぼっちの左足跡「鹿沼」
続いて、その左足跡と伝わる「鹿沼」に行ってみると、そこは軟式野球場やテニスコート、また児童交通公園まである大きな公園「鹿沼公園」でした。
そして案内図を見てビックリ!なんと、公園の中心にある大きな池は足跡に見えるではありませんか。
グーグルマップで上空から見ると、しっかり足の形をしています。
まさか…でぃらぼっちの足跡?
なんて思ってしまいますが、実は巨人伝説を後世に語り継ぐために作られた人工的な足跡、残念ながら実際の足跡ではありませんでした。
地元の方にお話を聞くと、まだ昭和30年代ごろまでは沼地があって、子どものころに親から「危ないから近づいては行けない」といわれたそうです。
その後、周辺に住宅が増え、1970(昭和45)年に公園として整備され現在の形となり、景観はスッカリ変わってしまいましたが、池の形を足跡にして残すのは粋な計らいですね。
「でぃらぼっちの足跡」と伝えられた沼の大きさは、現在の鹿沼公園の何倍もの大きさだったと推測されます。つまり、この公園そのものが巨人の足跡の中。そう考えると何だか面白いものです。
- 鹿沼公園
- 神奈川県相模原市中央区鹿沼台2-15
- 042-755-9781
- 公式サイト
地団太踏んで悔しがった「じんだら沼」
鹿沼公園から数分歩いた県道57号線沿いに「じんだら沼」の標識があります。ここにも沼があったそうですが…、こちらも当時の面影はありません。
背負ってきた富士山に根が生え、でいらぼっちが悔しがってドンドコと、ここで地団太を踏んだ場所。その足跡は窪地になり、沼になったという。巨人伝説を知らない人からすると標識を見て「こんなところに沼?」と感じるかもしれません。
地元の人なかには、「JR横浜線は巨人の足跡の間に線路ができたようなもの」といわれる方もいました。つまり、当時の相模原にはそれほど沼が多かったようです。
JR淵野辺駅の近くには巨人の足跡と伝わる場所が有名ですが、相模原市にはほかにも大沼、小沼、大野台、清新、橋本、矢部、東林間などの窪地も「でいらぼっちの足跡」という伝説が残されています。