恋多き女帝が残した美しき美術館も。現代まで逸話が残る「世界遺産」たち
「世界遺産」には、それぞれ歴史があります。例えば、聖なる地として古くから山岳修行の場として知られる「紀伊山地の霊場と参詣道」、大量生産の技術を駆使し、世界中へと絹を広げた「富岡製糸場と絹産業遺産群」など、国内だけでも歴史なしに語れない世界遺産がたくさん。
そんな世界遺産の数々には、知られざる逸話が残るものも少なくありません。今回は、さまざまな伝説と歴史が残る、美しき世界遺産をご紹介していきます。
目次
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ブレナム宮殿/イギリス
2対の獅子像を配した重厚な時計塔などをもつバロック様式の建物で、200以上の部屋があります。1704年の戦いでフランスを破った軍人ジョン・チャーチルが、アン女王から褒賞として与えられた土地とお金をもとに建てました。
ジョンはすぐれた軍人でしたが、妻のサラが女王の不興をかったため亡命。女王が亡くなってから帰国し、この「ブレナム宮殿」の建設を進めます。しかし残念ながら宮殿の完成を見ることはなく、天に召されました。
ちなみにジョンは、第二次世界大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルの先祖にあたり、宮殿にはウィンストンが生まれた部屋もあります。
サント=マドレーヌ大聖堂/フランス
ブルターニュ地方の町ヴェズレーにある「サント=マドレーヌ大聖堂」。もとは娼婦でしたが、改心してイエスの弟子となり、イエスの復活の証人になったというマグダラのマリア。その聖遺物を納めたところとされてきました。
ところがそのあと、聖遺物が南フランスの教会で見つかったとの話が。このため一時は衰退しましたが、19世紀に入ってから修復されました。聖堂の建築や内部の彫刻はロマネスク様式の傑作といわれており、巡礼者や観光客は後を絶ちません。
シュノンソー城/フランス
「シュノンソー城」はロワール渓谷にあり、シェール川をまたいで建つ姿の美しさは折り紙つき。約400年間、6代にわたる城主がすべて女性だったため「6人の奥方たちの城」と呼ばれています。
奥方たちをめぐる物語で有名なのは、2代目ディアーヌ・ド・ポワチエと3代目カトリーヌ・ド・メディシスの話。
王妃カトリーヌは、夫のフランス国王アンリ2世が20歳年上の愛人ディアーヌにぞっこん。それが許せず、アンリ2世が亡くなるとディアーヌを城から追い出しました。そして城を増築して、現在の姿にしたといわれています。
シェーンブルン宮殿/オーストリア
首都ウィーンにあり、1,400室の部屋と広大な庭園を誇る宮殿が「シェーンブルン宮殿」です。
1742年に女帝マリア・テレジアが建設をスタート。彼女は夫のフランツを神聖ローマ皇帝にするため努力しましたが、実権は握り続けました。
しかしふたりはとても仲が良く、1760年に夫のフランツが亡くなったあと、マリア・テレジアは喪服を着続けたのだそう。
また夫との思い出を保存するかのように、宮殿東翼の部屋を記念の間として、高価な内装を施しました。これらは、現在でも見ることができます。
ドロットニングホルム宮殿/スウェーデン
首都ストックホルム郊外のローベン島にあり、現在も国王一家の住まいが「ドロットニングホルム宮殿」です。イタリアやフランスの影響を受けたバロック様式風の建築で、北欧のヴェルサイユともいわれています。
1662年に王太后ヘドヴィグ・エレオノーラが建設を始めました。実はその前年である1661年に、それまでそこにあった宮殿は火災で焼失。
さらにその前年の1660年、エレオノーラは夫の国王カール10世グスタフを亡くしていました。たび重なる不幸にもかかわらず、エレオノーラは宮殿の建設を進めたほか、息子の国王カール11世の相談相手となり、国民からも敬われたそうです。
ベギン会修道院/ベルギー
フランドル地方にある13の修道院が、「ベギン会」に関するものとして世界遺産に登録されています。このベギン会とは、中世ヨーロッパの女性が、女性の自立を助けるためにつくった組織です。
ベギン会の女性たちは半聖半俗で 、祈りやミサを行うかたわら昼は町で働き、夜は修道院に戻るという生活をしていました。
収入を得ることや、退会して結婚することも可能だったそう。この13の修道院のうち、最も美しいといわれるブルージュの修道院は森の中にあり、建物の白壁と森の木々が生み出す静けさは、訪れる人の心に響きます。
エルミタージュ美術館/ロシア
「エルミタージュ美術館」は、サンクトペテルブルクにあり、建物はロシア・バロック様式の代表としても知られています。
収蔵品は300万点以上で、世界三大美術館のひとつといわれるほどの豪華さ。その歴史は、ロマノフ王朝の女帝エカテリーナ2世が、1775年に自分専用の美術品展示室を建てたことから始まりました。
エカテリーナは恋多き女帝といわれ、子どもの父親はみな夫ピョートル3世以外の男性といわれています。しかしこれはピョートル3世の健康上の理由もあったようです。
タージ・マハル/インド
ムガール帝国の第5代皇帝のシャー・ジャハーンが建てた、愛妃ムムターズ・マハルの霊廟「タージ・マハル」。
1632年に建設を始め、22年かけて完成させました。首都デリーから鉄道で約2時間のアグラにあり、白大理石と貴石をふんだんに使った姿は、豪華さと清浄さを兼ね備えています。
シャー・ジャハーンは妃ムムターズを深く愛し、遠征にも連れて行きました。しかしそれが仇となり、ムムターズは36歳の若さで遠征先で亡くなります。悲しみにくれたシャー・ジャハーンは、タージ・マハルの建設に巨費を投じました。
さらにタージ・マハルの対岸に自分の霊廟を黒大理石でつくろうとしたため、息子に幽閉されることに。シャー・ジャハーンが亡くなると、その棺はムムターズ・マハルの棺の隣に置かれました。
自分の霊廟はつくれませんでしたが、一緒にいられるようになったのですから、ふたりにとってはそのほうがよかったのかもしれませんね。
麗江旧市街/中国
中国の奥地に位置する麗江市。大自然に囲まれた地で少数民族のナシ族が暮らしており、現在でもノスタルジックな街として中国国内でも人気の観光地です。
街には水路が張りめぐらされ、夜になると提灯が明るく輝き、とても幻想的な景色が広がります。
「麗江古城」という多くの人が目的地とするお城がありますが、これは日本のようなかたちではありません。中国でお城とは、街を取り囲む城壁のことを意味するのです。
この景観を保つことができたのは、ナシ族が守ってきたから。そして他民族と交流をしながら、独自の文化を作り上げていったからといわれています。
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姫路城/日本
日本初の世界遺産で、白漆喰の城壁の美しさから「白鷺城」とも呼ばれている「姫路城」。このお城でゆかりのある有名な女性といえば千姫です。
江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠の娘で、1603年に7歳で豊臣秀頼と結婚しました。千姫は1615年の大坂の陣で豊臣氏が滅び、夫の秀頼を亡くすと、徳川家の家臣・本多忠刻と再婚します。
そして、本多家が姫路城主になった1617年に姫路城に入りました。姫路城での千姫は一女一男を生み、穏やかな日々を過ごします。しかし幸せは長く続かず、1621年に息子は3歳で早世、1626年には夫の忠刻、姑、母を続けて亡くしました。
娘を連れて江戸に戻った千姫は出家して天樹院となり、父・秀忠や弟の3代将軍・徳川家光から手厚い保護を受けて暮らしたそう。
世界遺産は建築や自然物であるため、どうしてもその「カタチ」に目がいきがちになります。
しかしそれらを支えるのは人々が作り上げてきた歴史といっても過言ではありません。そんな歴史に目をむけると、世界遺産の別のカタチが見えてくるのではないでしょうか。
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