2020年大河ドラマにも登場する戦国武将・細川幽斎(藤孝)とは?

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2019/07/20

関ヶ原の戦いで東軍・徳川家康についた細川家にふりかかった西軍・石田三成の仕打ち

そこから18年後・・・。秀吉の死後、着々と実力をつけてきた徳川家康に対し、石田三成らが次第に不信感をつのらせた内部対立がきっかけで「関ヶ原の合戦」が勃発します。

細川家は東軍・家康の味方につくことを決断、家康に従い忠興は多くの大名とともに西軍の上杉景勝討伐のため会津へ出兵中のころ、ついに三成と家康が対決することに・・・。

三成は細川忠興に対して容赦のない仕打ちをします。

容赦ない仕打ちその1: 盟友光秀の娘であり忠興の美人妻・ガラシャを人質に

宮津市にあるガラシャ像

大坂城にいた三成は大名夫人を人質にとり優位にたつことを考えます。しかし、忠興の妻、お玉(洗礼名:ガラシャ)は人質となることを断り、大坂・玉造にあった細川家の屋敷に立てこもり、キリスト教の教えにより自害はせず、家来に命じて命を絶ちます。38歳でした。

容赦ない仕打ちその2:忠興の留守を狙ってか?隠居中の父・幽斎(藤孝)攻め=田辺城籠城戦で大ピンチ

1万5000人の敵陣に取り囲まれていることがわかる籠城図

「田辺籠城戦」は、全国的にはあまり知られていないですが、聞くととんでもない逆転エピソード!まさに「埋も歴史」じゃないでしょうか!

細川家を批判する手紙を三成から受け取った丹波、但馬、九州の大名たちが次々と挙兵し、約1万5000人もの大軍が丹後へと押し寄せ、ついには籠城戦へ突入。幽斎軍は大軍相手にたった500人で田辺城を守ります。
絶体絶命のピンチに陥った幽斎のところへ、天皇から「停戦せよ」との命が。落城寸前のところで、幽斎は難を逃れます。苦難を乗り越えた先にあったのは、細川家の九州の大!大名!!への大出世でした。

なぜ、細川幽斎は1万5000人もの大軍を相手に、たった500人で対抗できたのか、なぜ、天皇は停戦命令を出したのか……ちゃんと理由がありました。それは次回のKYOTOSIDEでたっぷりご紹介します!どうぞお楽しみに!!

 ★細川家の歴史・文化を継承する博物館・永青文庫

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  • source:KYOTO SIDE
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