また、恋に落ちよう。日本を代表する美女たちが、色鮮やかに蘇る
日本一の美人といわれた「萬龍」
明治末に「日本一の美人」と謳われた、萬龍(まんりゅう)さん。美人芸妓として人気を集め、芸妓の人気投票である「日本百美人」では、9万票が集まり第1位を獲得。
当時の一流芸妓は現在のタレントやアイドルのような存在だったそう。
かの有名な作家・谷崎潤一郎が『青春物語』のなかでも、一流芸妓の社会的地位について「いまの一流キネマ・スタアもはるかに及ばない」と記しているほど。
さらに、三越のポスターなどにも抜てきされ、新聞でも連載されるなど、まさに一流スターとして人気を集めていたのです。
大正三美人のひとり「柳原白蓮」
大正から昭和時代にかけて活躍した歌人、柳原白蓮(やなぎわら・びゃくれん)さん。
本名は宮崎あき子(あきは火へんに華)といい、この名は父・前光が華やかな鹿鳴館で誕生の知らせを聞いたことから名付けられたそう。
ちなみに白蓮さんは、大正三美人のひとり。そして1921年には愛人とともに出奔した「白蓮事件」で世を騒がせ、さまざまな雑誌や新聞で取り上げられた、恋に生きた歌人としても知られています。
太宰治を最後まで愛した「山崎富榮」
東京都文京区で生まれた、山崎富榮(やまざき・とみえ)さん。父は日本で最初の美容学校である「東京婦人美髪美容学校」(お茶の水美容学校)の設立者、山崎晴弘です。彼女自身も美容の道を極め、美容師として活躍します。
作家・太宰治の愛人のひとりとしても知られ、健康状態が悪い太宰に付き添います。1948年に太宰とともに玉川上水へ投身し、入水自殺で亡くなりました。
いま読まれてます