女性の自転車姿が卑猥だった?100年前までは非常識だった現代の日本の常識
「パンツ」がきっかけになった事件も
いまでこそ、老若男女問わず「下着(パンツ)」を履いて暮らしていると思います。しかし、日本において日本人が欠かさずパンツを履き始めた歴史は意外にも浅く、100年にも満たないとの話。
明治・大正を経て西洋化が進んだ日本でも、昭和の戦前まで女性の多くは、和洋混合スタイルの服装を好み、下着については「腰巻」を着用していました。
腰巻とは、
<女性が和装するとき、下着として腰から脚にかけて、じかに肌にまとう布>(小学館『大辞泉』より引用)
とあります。要するに、下着(パンツ)ではありません。
小学館『日本大百科全書』によると、和服から洋服へと女性のファッションが移り変わると共に減ってはいったものの、昭和初期まで洋服の下に腰巻というアンバランスなスタイルは主流派だったとされています。
しかし、1932(昭和7)年に起きた事件が、日本人女性の下着着用を推し進めたとの見方が有力です。
その年「白木屋」という百貨店の日本橋店がビル火災に遭いました。当時の朝日新聞の報道によると、4階のおもちゃ売り場から出火し、日本初の高層建築火災として後に、災害史に記録される事態となったのだとか。
その火事からの脱出時に、ロープを伝って地上を目指す女性たちが、地上にいる野次馬の目を気にして、すそを押さえようとロープを支える手を離してしまい、転落してしまう出来事が相次いだとの話。
この悲惨な出来事が、腰巻ではなく「ズロース(ズボン型のゆったりとした下着)」の着用を定着させた後押しになったと言われているのですね。
<当時まだ多かった和装の女性のうち裾の乱れを嫌って逃げおくれた女性が出たため女性の洋式下着(ドロワーズ)普及のきっかけとなった事件としても有名>(平凡社『百科事典マイペディア』より引用)
以上のように、百科事典にも書かれるほど影響があった出来事みたいです。
このズロースの布面積が戦後、どんどん小さくなりました。その進化系が現在の下着になるのですね。