100年愛されるブランドのヒミツ…海外「老舗」企業の知られざる日本進出物語

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2024/03/13

移り変わりの激しい世の中、ヒット商品が現れては消えていく中、今の人と100年前の人が同じヒット商品を口にしている例もあります。

ハインツのトマトケチャップだとか、ケロッグのコーンフレークだとか、ネスレのコーヒーだとか、タバスコだとか、はるばる海外からやってきて日本人の暮らしに定着した有名ブランドや商品もあります。

そうした海外発の有名食品ブランドは、この世にどのように誕生して、どのように日本に入ってきたのでしょうか。今では、当たり前すぎて特に意識もしませんが、調べて見るとどれもユニークな歴史を持っていると分かります。

ハインツのトマトケチャップ

image by:Faiz Zaki/Shutterstock.com

トマトケチャップといえば、どこのブランドを思い出しますか?日本人であれば『カゴメトマトケチャップ』を真っ先に思い浮かべるはず。

しかし、海外っぽい雰囲気を売りにした外食店に行ったり、輸入食品店に行ったりすると、ハインツのトマトケチャップも見掛けますよね。

『ブリタニカ国際大百科事典』によるとハインツとは、アメリカ合衆国の食品ブランドで、創業者であるヘンリー・ジョン・ハインツさんの名前から取ったブランド名になります。

創業は1869(明治2)年、1876(明治9)年に会社設立、ハインツに社名を変更した年は1905(明治38)年です。いずれにせよ、100年以上の歴史を誇っている会社ですね。

image by:calimedia/Shutterstock.com

創業者のヘンリー・ジョン・ハインツさんはピッツバーグで雑貨店を相手に商売を始め、ケチャップなどのトマト加工食品で売り上げを伸ばしました。現在、トマトケチャップの販売量は全世界1位です。

日本への進出は1961(昭和36)年。日魯漁業株式会社(現・マルハニチロ)と合弁会社の日魯ハインツを立ち上げます。


しかし、ハインツのトマトケチャップは意外にも、日本で受け入れられなかった歴史があります。1963(昭和38)年には久里浜工場で製造を開始し、トマトケチャップを販売しますが、まさかの売上不振に陥ります。

その背景には、加工用トマトの調達に苦戦した上に、高価格ながら高品質を訴えた訴求ポイントが消費者に刺さらず、『カゴメトマトケチャップ』の見た目や味に慣れた日本人には支持されなかった事情があったのだとか。

image by:Jantira Namwong/Shutterstock.com

そこで、悪戦苦闘した末に、日本の市場、日本人の好みの味を調査し、自社製品をアジャストさせ、ミートソース、デミグラスソース、ホワイトソースなどを世の中に送り出し、洋風ソースで大きな成果を日本で挙げます。

その後、トマトケチャップについても、パッケージと味を日本向けにアレンジし、新しい使い方をテレビCMなどで提案し続けました。

1988(昭和63)年に国内シェア1%程度だったトマトケチャップの売り上げを翌年には、前年比で60%も増加させ、1996(平成8)年には国内シェア6.7%まで拡大に成功します。

もちろん、カゴメの独壇場を突き崩すまでには至っていませんが、海外っぽさを求める日本国内でのニーズに応えられる強みが間違いなくあり、独特の立ち位置を日本で築いています。

アメリカのピッツバーグで始まった雑貨店相手の商売が、やがて海を越えて日本に進出し、粘り強く創意工夫を続ける中で、デミグラスソースなどをヒットさせ、日本の食文化に大きな影響を与えてきたのですね。

ケロッグのコーンフレーク

image by:calimedia/Shutterstock.com

少し前に、お笑いコンビ・ミルクボーイのネタで、コーンフレークが大注目を浴びました。腕を組んでいるトラのキャラクターについての言及もあったのでケロッグの商品を想定しているのかと思います。

トラの正体であるトニー・ザ・タイガーは1952(昭和27)年、同社の『コーンフロスト(現・コーンフロスティ)』の発売と共に、一般公募の中から選出され誕生したキャラクターです。

米ケロッグ社はそもそも、W.K.ケロッグという人が1906(明治39)年に設立した会社に起源を持ちます。1922(大正11)年には、ケロッグ・カンパニー社に変更します。ケロッグとは、創業者の名前なのですね。

その若き日の創業者は、米国ミシガン州にある保養所で所長を務めていた兄のJ.H.ケロッグ博士の弟として、療養者のために消化に良く栄養に優れた食品をつくろうと、小麦の生地の加工に取り組んでいました。

image by:Shutterstock.com

ある日、急な仕事で調理途中の(水分の入ったままの)小麦を放置してしまったため、ローラーで延ばして焼いてみたところ、サクサクのフレークが出来上がりました。偶然誕生したこのフレーク状の食べ物が全ての原点です。

日本とのつながりでいえば1962(昭和37)年に、米ケロッグ社100%出資の日本法人が誕生し『コーンフレーク』と『コーンフロスト(より甘みの強いシリアル)』を翌年に発売しました。1969(昭和44)年には高崎市で工場を稼働させます。

日本ではまだ100年の歴史が存在しないものの、100年前のアメリカ人が食べていたケロッグのコーンフレークを現在の日本人が食べているわけです。

あの食べやすさは、療養中の患者に、消化のいい食品をつくろうとして生まれた由来を持っているからなのですね。

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