日本の美女に外国人も夢中。明治時代の鮮やかな着色写真たち
長きにわたる武家政権が終わりを迎え、大きく歴史が変化した明治時代。西洋の文化を積極的に取り入れ、文明開化を通じて近代化が進んできました。
なかでも写真の技術は大きく発展を遂げ、当時を生きた人たちのリアルな姿を現代でも垣間見ることができます。
いまから約100年以上前、明治初期の日本の様子を写真に収めたイタリア人がいました。その名は、アドルフォ・ファルサーリ(Adolfo Farsari)。
彼の撮った写真は外国人旅行者や居住者の間で評判となり、日本国内はもちろん、世界にも大きな影響を与えました。今回は、そんなフォルサーリ氏が後世に遺した彩色肖像写真をご紹介していきます。
- 関連記事
- >>>外国人が涙した美しさ。幕末の写真家が撮った「明治時代」の着色写真
外国人が夢中になった明治のニッポン
かつて明治時代に日本で活躍した、ファルサーリ氏。おもに開国の地である横浜を拠点に撮影を行い、日本人の職人たちが白黒写真に手作業で着色する手彩色を施しました。
そしてファルサーリ氏はこれらの写真をまとめた「蒔絵アルバム」を作成し、外国人旅行者と在留外国人に数多く販売します。
このような作風の写真は「横浜写真」と呼ばれ、写真技術と日本の伝統技術の融合した作品として、外国人の間で大きな話題を呼びました。そして作品のなかには、数多くの日本人女性たちの写真が遺されています。
うたた寝する美女たち
こちらは女性がうたた寝している写真。よく見てみると、枕がとても高さのあるものであることが分かります。
当時は、15センチほどの「箱枕(はこまくら)」や「ばち枕」という、かなり高さのある枕が使われていました。これは木材で作られた土台の上に、そばがらや茶がらなどを入れ、両端をくくって作る「くくり枕」を取り付けた枕です。
明治時代は髪型を崩さないように枕に高さが求められていました。そして実際に寝るときは、頭ではなく首の部分に枕を当てて使われていたとされています。
現代の枕と比べると少し寝にくそうな形をしていますが、ヘアスタイルを保つために枕を高くするとは、お洒落で粋な江戸文化の名残だったのかもしれませんね。