そうだ、ラピュタに行こう。東京湾では唯一の自然島「猿島」を探索
神奈川県横須賀市の沖合に存在する“猿島”という島をご存知でしょうか? 明治時代に建設された東京湾の要塞跡として知られている第一海堡や第二海堡よりも古い要塞跡であり、江戸時代末期から太平洋戦争終戦までにかけて、砲台等が設置されていた島です。
また、東京湾の中で、第一海堡や第二海堡を含む多くの島は、盛り土などにより形成された人工島であるのに対し、猿島は、元々の地形に存在していた自然島なのです。
浦賀水道を含む広義の意味での東京湾としては、千葉県の浮島も、自然島として知られていますが、狭義の意味での東京湾においては、猿島は唯一の自然島であると言われており、観光地として唯一、一般人が気軽に訪れる事のできる無人島でもあります。
東京湾では唯一の自然島『猿島』を探検
今回は、そんな猿島の探索に行って参りました。猿島へ渡る船は、神奈川県横須賀市の三笠公園から出航します。三笠公園には、日露戦争時に東郷平八郎司令長官の下活躍した、戦艦三笠の実物が、記念艦として固定保存されており、内部見学も可能となっています。
なお、この戦艦三笠、固定する際に艦首の向きが皇居の方角を向くように設定されたそうです。猿島までの船便は、1時間に1本の頻度で出ていますが、目的の便の出航までに時間がある場合には、記念艦を見学するのも良いかもしれません。
船便の出航時間が近づくと、桟橋近くに乗船のための列ができ始めます。12月から2月末までの冬期シーズンは、猿島への船便は、土日祝日のみの運航となっており、オフシーズンでありながら、結構な人数が集まっておりました。
いよいよ乗船です。ゲートをくぐり、桟橋を歩いて乗船すると、気分が盛り上がってきます。船はそれほど大きい物ではありませんが、1階フロアと2階フロアがあり割と多くの人数が乗る事ができます。また、1つの船に乗りきれなかった場合には、臨時便の出航もあるようです。乗船時間は10分少々で、本土の岸を離れるとすぐに島にたどり着きます。距離としても、2km弱といったところでしょう。
猿島に到着すると、桟橋上に掲げられた看板が、冒険気分を盛り上げてくれます。ちなみにこの島、“猿島”という名前の島ですが、猿どころか、犬もキジも見当たりません。もちろん鬼も・・・あ、それは島が違いますね。ではなぜ猿島と呼ばれているのか?
その所以は、要塞の島となる遥か昔に遡ります。その昔、日蓮上人が小舟で東京湾を渡る際、一面が濃い霧に覆われ、行先が全く分からなくなってしまったそうです。その時、日蓮の唱えたお題目(念仏)に応じてどこからともなく白猿が現れて、日蓮を導いた先がこの島であり、猿島と名付けられた所以だと言われています。
そんな猿島では、桟橋の袂に立派な管理棟があります。管理棟の目の前には、砂浜やデッキが設けられており、夏期シーズンには、海水浴やバーベキューを楽しむことができるそうです。無人島でのバーベキューは、いつものバーベキューと一味違った美味しさを味わう事ができそうですね。
管理棟の2階は、資料館になっており、猿島の歴史などを学ぶことができます。管理棟脇の階段を上ると見えて来る、管理棟の裏手にあるレンガを漆喰で覆ったおもむきのある建物は、猿島の電気をまかなう発電所です。建設当初は、石炭を使った蒸気機関による発電が行われていたようですが現在は、外観をそのままに、内部はディーゼルエンジンなどの発電機に置き換えられているようです。
また、管理棟脇の階段の上り口には、島内散策のお供に!という感じで、杖の貸し出しコーナーがあります(無料)。冒険気分を味わいたい方は、杖を借りて行くのも一興かと思いますが、散策経路は整備が行き届いているので、必要無いのではないか?というのが、私の感想です。ちなみに、杖には竹製と木製があり、木製の方が雰囲気がありますが、重いので、持ち運びの負担になります。
階段を上り、島内部へと進んで行くと、旧要塞施設が並ぶ巨大な切通しが現れます。この切通しには、兵舎跡や弾薬庫跡が存在しますが、いずれも岩壁を掘って作られた横穴式の構造で、島の外や上空からは、それらの施設の存在を知る事ができないようになっています。
そんな切通しの壁面ですが、良く見ると、無数の凹み傷を見る事ができます。戦時中、島に上陸した外国軍による威嚇射撃の跡でしょうか。このような傷跡1つからも、歴史を感じる事ができます。
兵舎跡や弾薬庫跡は現在、格子が設けられて立ち入る事が出来なくなっていますが、猿島公園専門ガイド協会に、希望日の1週間前までにガイドツアー(有料)を申し込むと、こうした立ち入り禁止区域にも立ち入る事ができるようです。
猿島公園専門ガイド協会HP