竹下通りができる前、若者が知らない「原宿」の歴史【東京地名散歩】
都内最古の木造駅「原宿駅」の運命は!?
今回の地名散歩のハイライトのひとつは、JR山手線の「原宿駅」です。
JR原宿駅の1日当たりの平均乗車人員は約7万4,000人(2015年時点)。そのうち約4万8,000人(全乗車人員の約65%)が、定期券を使わない人たちだというデータがあります。
原宿駅のすぐ隣にある地下鉄・明治神宮前駅、少し離れているけれども同一エリアといえる地下鉄・表参道駅もおそらく同様の傾向を示すものと思われます。
原宿駅の利用者には定期券を持たずにやって来る人たち、つまり遊びや食事、買い物や観光、その他もろもろの目的で外からイレギュラーにやってくる人たちのほうが、住人や通勤・通学客などよりもかなり多いのです。
竹下通りを埋めるかのような、国内外から大勢やってくる観光客たちのかもしだす熱気ある情景は、その象徴といえます。
ちなみに都内のJR各駅の平均乗車人員数のうち、定期券を持たない人の率がこれほど高い事例は、東京23区内では原宿駅だけです。原宿を訪れる多くの人にとって、原宿界隈は「ハレの場」、非日常的な都市空間として機能していることがわかります。
原宿駅(神宮前1丁目)の現在の駅舎は、1924(大正13)年に建設されました。
戦災からも逃れ、完成してから約90年以上もの長い歳月、外観を変えず親しまれてきた原宿駅の現駅舎は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開幕までに建て替えられることになっています。
1964年の東京オリンピックをキッカケに、渋谷川は暗きょ化され、ワシントンハイツが代々木公園に生まれ変わったことはすでに書きました。今度の2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、90年以上の歴史をもつ原宿駅がまったく新しくなる(なってしまう!)のです。
原宿駅は都内最古の木造駅舎としても知られます。ところが文化財に指定されていないため、建て替えられた後の保存についてはとくに規制がなく、保存などの方針も明確にされていません。
何らかの形で遺すのか、廃棄するのか?それを決める権限は、所有者であるJR東日本にあります。
例えば、代々木公園内には、1964年の東京オリンピックの際に造られた選手村宿舎の一部がいまも記念保存されています。現・原宿駅の駅舎も、代々木公園に移設されれば、今度は2020年東京オリンピックのメモリアルになるし、新国立競技場建設のキャッチフレーズとなったレガシー(精神的・物理的遺産)としても、ふさわしいのではないでしょうか。
跡形もなく壊されてしまった旧国立競技場の轍(悲劇)を、踏むべきではありません。JR東日本には、原宿駅の現駅舎を何らかの形で残してもらい、有効利用するよう強く願いたいものです。
追記:原宿駅は2020年3月21日(土)から新駅舎と新ホームの供用を開始。旧駅舎は96年の長い歴史に幕を下ろしました。