赤い醤油で快進撃。老舗醤油屋「ヤマサ」の370年サバイバル術
地域と共に生きる~住民の命を救った感動秘話
和歌山県広川町。ヤマサ当主・濱口家のふるさとだ。町役場の前の広場に一体の銅像が置かれている。ヤマサ7代目当主・濱口梧陵(ごりょう)だ。偉大なご先祖様の地元での評判を聞いてみると、「知らない人は広川町にいない」「命の恩人」「教科書にも載っている」と、口々に言う。
梧陵を恩人にした出来事は、幕末の1854年11月5日に起こる。その日の夕方、この地を大きな地震が襲う。「安政の南海地震」だ。
激しい揺れが収まった直後、梧陵は津波が襲ってくると直感した。早くみんなに知らせないと、多くの犠牲者が出る。梧陵は高台にあった自分の田んぼに向かい、収穫したばかりの稲の束に火をつける。そして、その火を目指して山に逃げるよう、村人に呼びかけた。梧陵の機転によって多くの命が救われたのだ。
さらに梧陵は、津波で田んぼや仕事を失った村人の、救済にも乗りだす。それがいまも残る全長600メートルの広村堤防だ。私財を投げ打ち、村人と作り上げた堤防は、その後の津波でも被害を最小限に食い止めたのだ。
毎年10月、この町で開かれる「稲むらの火祭り」。人々がたいまつを手に、梧陵の功績をいまもたたえ続けている。「企業は地域と共にある」。それがヤマサの責任と誇りなのだ。
「企業人たるもの会社だけでいいというのではなく、何らかの形で会社以外のところでも、地域のため、社会のために貢献したい」(濱口)
銚子名物、月に1度の「銚子観音門前軽トラ市」。自慢の海産物など地元の名産品が堪能できるとあって、都内からも人がやってくる。その中でひときわ人気の店があった。お目当ては焼きそば。実はこの焼きそばの仕掛け人がヤマサだった。
銚子工場の一角では焼きそばを焼いている。メインの具は銚子名物の「ぬれ煎餅」。そこにヤマサが開発した焼ソバ用の醤油。「ぬれ煎餅焼きそば」(350円)は銚子づくしのB級グルメだ。さらに隣の売店では「醤油ミルクプリン」(410円)や、千葉の名産・ピーナッツの「ドライこがし醤油ピーナッツ」(350円)など、醤油テイストの商品がズラリ。
これはヤマサが地元企業とタッグを組んで銚子の新名物を作るというプロジェクト。ヤマサの地域貢献だ。特販事業部の冨成浩静は、「銚子を盛り上げたいって方々がたくさんいて、一緒に同じ方向を向いて、銚子が元気になっていくような取り組みになればいいと思っています」と言う。
~村上龍の編集後記~
「創業100年超の老舗」。きっと堅実な経営を続けてきたのだろうと、多くの人が思う。だが実際には、守るべき理念と変化への対応力を併せ持つ企業ばかりだ。
しかし、「ヤマサ醤油」には心底驚いた。変化への対応という、心地いい便利な言葉を超えて、まさに、波瀾万丈の連続だった。
十代目がその象徴だ。金融など多角化に失敗し、一時蟄居まで余儀なくされるが、経営を立て直し、最終的には「醤油王」と呼ばれ、三男の濱口陽三は世界的な版画家になった。
まるで、超高速ボートで嵐の海を走りきり、今に至る、そんな企業である。
<出演者略歴>
濱口道雄(はまぐち・みちお)1943年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、1968年、ヤマサ醤油入社。1983年、代表取締役社長就任。2017年、会長就任。
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」