誰もが旅を楽しむ時代をいち早く見据えていた「近代ホテルの父」の生涯
合理性を研究して建てられたホテル
ガタゴトガッタン!
車は上下左右に揺れながら向かってくる。幌馬車を小型にして黒く塗ったような車だった。
ギーッ。
腹に響くような音をあげて停止すると、ブワッと砂ぼこりが舞いあがった。エルスワースは目を閉じ、腕で口をふさいだ。フィオレンティーノが内側からドアを開く。
ギイッー。
鉄と鉄が擦れる音がした。エルスワースはビルの入り口で彼を迎え、強く握手をしてからオフィスへと向かった。
「私の目に狂いはなかった。あなたは時代の流れを読める人だ」
「ヒントを得たんですよ。あなたの車から」
「えっ? 私の自動車から?」
エルスワースはニヤッと口元を緩ました。
「フォード・モデルTタイプは、べルトコンベア式の大量生産を行うことでコストを下げて、庶民でも買える値段にしました。私もコストダウンできる箇所を研究したんです。その成果がでました」
「いやはや、ホテルと自動車が結び付くとは不思議な気がします。ところで、次はどこにホテルを出すんです」
エルスワースはオフィスの壁に貼ってあるポスターを指さした。世界一背の高いウールワースビルを中心として撮影された写真だった。
「なるほど、マンハッタンですか。チャンスがあれば、是非、私にも投資させてください」
1919年、エルスワースはマンハッタンでホテルを運営する機会を手にした。ペンシルバニア・ステーションの前に建設される世界最大の2200室を保有するザ・ホテル・ペンシルバニア。オーナーはペンシルバニア・レイルロード・カンパニー。マンハッタンの中心にあるこの鉄道駅にはアメリカ各都市から莫大な数の人々が集まってくる。
「ここは集客面で最高のロケーションだ。ホテルにとって最も大切な条件を備えている」
エルスワースには、このホテルが大成功してゆく姿が見える気がした。
設計はペンシルバニア・ステーションを建築した会社が引き受け、エルスワースは初期の段階からプロジェクトに入り込んだ。
「天井をこんな高さにしたら、暖房費がかさみます。もっと低くて大丈夫です。その経費がうけば、その分部屋料金を安くできます。また、部屋も多くつくれます。そうなれば、より多くの人々が泊まれるようになる」
エルスワースの発言に建築家たちは顔を見合わせる。
「しかし、この高さがスタンダードです」
「もうスタンダードは関係ないのです。そこに合理性がなければ、崩せばいいだけのことです」
彼の方針である“大衆に使われ、最大の売りあげを生むホテル”を造るため、構造はもとより科学的見地から運営をも見直したホテル経営管理技術が導入された。彼が構築したホテル建築&運営のスタンダードは高い評価を受け、1922年にホテル協会からの要請で、コーネル大学にホテル経営学部を創設するに至った。
1928年、エルスワース・ミルトン・スタトラーは他界する。その後も会社は彼の意思を継いでホテルをオープンさせ続け、17軒のスタトラー・ホテルチェーンを造りあげた。だが、1950年代になると、それを狙って“あの男”が動き出す。
(つづく)